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2009/05/15

1+1>2

 教育評論家の尾木直樹さんとの対談が本になった。
 オランダの教育についての情報を日本に報告しながら、何が伝えたかったかといえば、日本の現状を外から見直す必要があるのではないですか、ということであったから、この対談は、私にとっても、初めて、日本の教育について直裁率直に意見を言える初めての機会だった。
 それはともかく、、、
 対談というのは、実に面白い作業だな、と改めて思う。
 人間、一人一人顔も違えば考え方も違う。その二人が意見を出し合い語り合うことで、お互いが、今まで考えてもみなかったことに気付き、ふっと意識が別の次元に浮上する。いい作業をやらせてもらったと思う。これもひとえに、こういう機会を作ってくださった尾木さんのおかげ、また、出版業界苦境の中を押して本づくりをして下さった柴田さんのおかげだ。

 考えてみると、夫婦というのも、そういうものではないのか。夫婦になれば子供が生まれる、だから1+1>2だ、という単純な話ではない。男と女、そして、私たちの場合は、オランダ人と日本人という、とんでもなく背景が異なる二人が出会い生活を共にしてきた。しかし、そのことで、どんなにたくさんの付加価値を得ることができたことか、、、どんなにたくさん新しい発見をし、自分を見つめなおし、何度となく新しい地平を広げることができたことか、、、

 船は一人でこぐより二人でこぐに越したことはない。
 荒波を行く船が転覆しないように保つには、一人より二人の方がずっと良い。

 本づくりにおける著者と編集者もまた、1+1>2とする作業だな、と思う。そして、考えてみれば、著者と読者も、そうなのかもしれない。発信者と受信者は、互いが歩み寄ること、お互いが理解しようと努めることで、それぞれがそれぞれの中で、何か今までになかったものを受け止め発展させる力になる。

 長いこと、人に頼らず一人で何でもやってしまおうと思ってきた。自立していたいという気持ちは今も変わりはない。でも、それとは別に、最近、すこし力が抜けてきて、人とつながって何かをした方がずっと大きな力になる、と感じられるようになってきた。

 人間一人で生まれひとりで死んでいく。それなら、せめて生きている間、つながってみたいという開かれた意欲を持っている人たちと一緒につながっていた方が多分ずっと幸せだ。

問い続けるということ

 イエナプランについてもっと詳しく知りたい、そう思ってケース・ボット氏に電話をしたのは5年前の夏のことだ。ボット氏は、1960年代にドイツからイエナプランを紹介したスース・フロイデンタールの片腕となって、ワールドオリエンテーション(イエナプラン教育のハートといわれる総合的な学び)の理論と教材研究をし、長くオランダ・イエナプラン教育の理論的な基礎を築くうえで指導的な役割を果たした人だ。もともと、経済的にも余裕のない家庭に生まれ、助教師の資格を取って小学校で教えていた。
 電話の受話器を取ったのは、ボット氏の奥さんで、明らかに外国人とわかるオランダ語で面会を求めてきた私に、少し戸惑ったようにこう答えた。
「ケースは今耳がほとんど聞こえないので筆談しかできないけど、それでもよかったら、用件を伝えますからいってください」
と。
 思いがけない返答に、ちょっと面食らった。
 それから1週間後、うまくコミュニケーションができるだろうか、と内心ハラハラしながら、オランダ中部にあるボット氏の自宅を訪れた。静かな住宅街にあるその家で、ボット氏は、奥さんとともに、私の来訪を待ち構えていてくれた。
 そうして通された3階の小部屋は、白い壁に水彩の鳥の絵がかかり、窓越しに、家の前の通りを超えて白樺やポプラの緑の木立が見張らせる、静かな落ち着いた一室だった。

 さて、耳の聞こえないボット氏とどうやって会話をしたものか、、、
 仕方がないので、持ってきたノートに質問を書きつけて見せながら話をすることにした。
 ボット氏は、初めから聾唖だったわけではない。その前年、中耳炎がもとで耳が聞こえなくなってしまっていたのだ。だから、ノートに書いた質問を読むと、少し、大きすぎるかな、と思われる声だったが、次々にたくさんの答えを話して下さった。一旦話し始めると、とても仔細にわたり、また、外国から来た私に伝えられるだけのことを伝えずにはおれない、という熱気さえ感じた。

 ボット氏の蔵書はおびただしく、話が進んでくると、隣室の本棚に行って、ありとあらゆる資料を引き出して見せて下さった。
 そうして、第1回目のおよそ3時間にわたる会談は、あっという間に終わった。

 2時間の帰路を、いささか興奮と心地よい疲れを感じながら運転して家に帰りつき、メールボックスを開いてみると、早速ボット氏からのメールが入っており、短く「これも参考になるでしょう」と書かれたメッセージとともに、添付ファイルには、ぎっしりとその日の会談に関係した報告書の類が貼り付けられていた。

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 その後、何回か、こうしてボット氏を訪れた。耳の方は、手術を受け、以前より回復してきているようだった。訪れるたびに、気の置けない関係となり、資料なども、「ナオコ、上にあがって取ってこいよ」とあけすけに見せて下さるようになった。
 それにしても、いつ行っても、ボット氏の頭には、また一つ、また一つと新しい情報がちゃんと入ってきているのには驚いた。イエナプラン教育の指導者ではあったが、教育に関する、あるいは、新しい理科教育に関するありとあらゆる情報、それも、オランダ語に限らず、英語、フランス語、ドイツ語の資料を今も蓄え増やしていっている姿には、感服する以外になかった。

 ある時、どうしてイエナプラン教育と出会ったのですか、という質問をしたことがあった。
 するとボット氏は、このように答えた。
「私は、昔、小学校で助教師をしていたんだが、ある時に、理科教育の方法を探していてね。何か、子どもたちが自分で発見的に勉強できるいい方法はないのかな、と思っていたんだよ。そうして、たまたま自分がとっていたある教育誌を読んでいたら、フロイデンタールという女性がいて、イエナプラン教育というのを紹介しているというのが分かってね。よく見たら、うちからそんなに遠くないユトレヒトにいるっていうだろう。すぐに連絡してみたんだよ。すると、向こうも、今、ワールドオリエンテーションの教材を開発しようと人を探していたんだ、と言って、とても熱心にそのことを話してくれてね。あっという間に意気投合さ。それから、イエナプラン教育にかかわり始めたってわけだ。全くの偶然だね。、、、、、私は、それから、いったい、オランダの理科研究っていうのは、どんなことをしていてどのくらいのレベルにあるんだろう、そう思ってね。全国の大学の研究者や博物館で仕事をしている人たちに、手当たり次第に電話をかけ、面会を申し入れて取材して回ったんだ。その時のことは、当時のイエナプランの機関誌にも書いているけどね。そうして、研究者たちに会っているうちに、およそのことが分かってきたんだな。ああ、オランダ国内の理科研究は、今、このあたりのレベルなんだなって。よしわかった、って思ったよ。」

 ボット氏とは実にたくさんの話をした。しかし、この時の話は、その中でも特に印象に残っている話の一つだ。

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 私も、単純に知りたい、そう思って、ボット氏に電話をかけた。ボット氏の名前にたどりつくまでに、イエナプラン協会などにいろいろ問い合わせたことは当然だ。そうして、ボット氏と会話をし、彼が見せてくれたり送ってくれる資料を渉猟しているうちに、イエナプラン教育のことが、はっきりと見えてきた。学校を訪れていても、枠組みがしっかりできていた。

 彼の研究者としての姿勢には脱帽というよりほかない。しかし、私が「知りたい」という気持ちだけから、自宅に電話を入れて尋ねてきたことについて、多分、彼もまた、「へー、面白い日本人がいるものだな、昔自分もこうして電話をかけて人を訪ねて行ったなあ」と心の中で感じていたのではないか、とほぼ確信している。

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 ボット氏が打ち立てていったワールドオリエンテーションの学び方は、まさしく、科学検証のステップそのものに他ならない。

 小学生に対して、まず、対話をしたり、戸外で遊んだり、無秩序にごちゃごちゃとおかれたものを探索する中から、子供たちの「問い」を引き出せ、という。そして、その「問い」をみんなで集めろ、と。子どもたちとそれを指導する大人の教員とが一緒になって、ああでもない、こうでもない、と問いを出し合いそれを整理する。それから、さあ、どうやって、この問いに答えを出したらいいだろう、とみんなで話し合う。図書館に行こう、専門家に会いに行こう、実験してみよう、森で観察しよう、などなどと手続きを話し合う。子どもが自分でできる研究は自分でやり、大人の教員が教えてやれる探索方法は授業で教える。そうして、見つけてきた答えや、答えへの手がかりを、再びみんなで持ち寄って話し合う。できた成果を保管し、次の研究、次の世代の子供たちへの遺産とする、、、、、

 探求は、あくまで「問い」から始まる。手続きは、あくまで、自分の頭で考え生み出す。集めてきた答えは、みんなで出し合うことにより、批判的なフィードバックをする。成果を整理し、次の世代へと受け継いでいく。

 これは、問題意識、仮説と検証、成果の整理、結論、次の人への先行研究としての保管、という科学検証の手続きに他ならない。

 小学生の子供たちを指導するために作られたこのイラストレーションのモデルを見ながら、私は、こんなに簡単なことを、なぜ、私は大学生になるまで一度も気付けなかったのだろう、と思った。
「あなたの問題意識は何ですか」
と教授や同僚に問われて、答えられない自分が情けなかった。しかし、内心、「問う」ということができない教授や学生がほとんどだということも感じていた。

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 思えば、30年足らずの間外国を転々としながら、私は、心にいつもいくつかの「問い」を抱えて過ごしてきたのだな、と思う。13年前にオランダに来た時、これからオランダに定住できる、と思った時、知りたい、わからないという問いが、むくむくと心に沸き起こってきた。どうせ、私は、学者でもなければ、研究者でもない、だれも振り返ってみるわけではないし、自分が知りたいからやるだけさ、、、そう思って、問いの答え探しを始めた。初めて、それを意図的に始めた時、私は、オランダにあるありとあらゆる教育協会に手紙を出して、資料を送ってもらった。自分の子供たちが通っている学校の校長先生に頼んで、自宅で、聞きたいことを思う存分聞かせてもらった。

 問えば答えがもらえる。

 一つの答えが得られたら、そこから、さらにまたいくつもの問いが生まれる。ああでもない、こうでもないと考えているうちに、自分なりの仮の真理が形を成してくる。ああ、「仮説」とはこういうことだったのか、と思った。そして、自分が一つの問いに対して探し、見つけた答えもまた一つの「仮説」に過ぎないのだと。

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 ボット氏は、私がイエナプラン教育を熱心に勉強していることについて、こうも言う。
「別に、イエナプラン教育なんて名前にこだわることはないんだよ。個別教育だって、共生教育だって、、、名前なんてものはどうでもいい、、、人に分かってもらいたいならゲリラ戦だな、方法にこだわる必要はない、できるところから、可能性のあるところがあれば、どんどんそこから攻めていくんだよ」

 探求者にとって、どこかに「とどまる」何かに「こだわる」ことは死に態となることなのだろう。問い続ける、ということは、どこかで出来上がったり、安心することではないのだろう。そういう意味でのこだわりは持たない方がいい。独善を避け、いつも、批判と反証に心を開いておけ、、、、、彼はきっとそういう意味のことを言っているのだろう。