怒りは、多分、不条理に対するものであろう。
不条理は、人の尊厳に斬りつけ、涙という血を流させる。
だから、怒りは、人が自分の尊厳を保つために起こす自然のリアクションであると思う。
しかし、最近思うことがある。怒りは、それに続く道に、二つの選択肢を持っている、と。
一つは、良い、生産的で、社会のためになる仕事に昇華するという道、そして、もう一つは、独善、さらには、暴力という、反社会的な道だ。
不条理を起こさない、穏やかで温かい社会のために働きたい。
でも、それでも不条理があるのなら、そのために生まれる何万、何十万、何億という怒りが、せめて、独善と暴力にならないようにと、心から祈っていたい。