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2012/02/22

電子ブックと英語文化

日本の出版界は、「電子書籍元年」などと仰々しい呼び方で、電子ブックの到来に大騒ぎをしていたのもつかの間、結局、「電子書籍で得をするものは誰もいない」とかなんとかいう話で、いつの間にか、「やっぱり電子書籍は無理」という話で騒ぎが沈んでしまった。でも本当にそうなのか、、、それは、「誰から見ての話」なのだろう。

消費者にとって、また、書き手にとって電子ブックに本当にメリットはないのだろうか。

オランダに住んでいると、出版・新聞・雑誌は、この数年間、着実に紙媒体から電子媒体へと進みつつあることを強く感じる。特に、去年の後半あたりから、電子ブックを持っている若者たちが電車の中、バスの中でよくみられるようになった。アマゾンのプロモーションで、ネットと書籍小売店で、一斉に100ユーロ以下のキンドルブックを売り出したことが一因ではないか、と思う。

そういう私も今年の初めにキンドルブックを購入した。アマゾンがないオランダの場合、オランダの住所では、電子ブックが購入できないので、フランスの住所を使っている。

キンドルには、辞書類はついているし、約4000冊の、いわゆる「古典」ものは、無料で購入できる。つまり、シェークスピアだの、ドストエフスキーだの、オースティンだの、永遠の古典となった書籍は無料。また、少し古い本で、多分著作権や版権の契約が切れているものも極安だ。指でひと押しするだけで、1秒もかからない速さで、シェークスピア全集を手に入れることができる。もちろん、哲学書の類は、原語・英語どちらもほとんど無料か50~100円で買える。

言うまでもなく、話題の新著、最近のベストセラーも、紙書籍に比べると格安だし、正直なところ、紙よりはるかに読みやすい。字のサイズを変えることができるし、読みかけのまま閉じてもすぐにそのページを開ける、関心のある本を数冊同時進行で読むことが、紙の場合に比べてずっと簡単にできる。分厚い本を本棚に並べたり、スーツケースに押し込んで旅先に持っていかなくても、電子ブック1個さえ携帯すれば、全集、哲学書、古典、読みかけのベストセラー、関心分野の本など、ひとからげで携帯できるからだ。

キンドルブックの購入で、私がとてもうれしいのは、英語書籍へのアクセスが大変容易になったことだ。オランダの様に誰でも英語を話す国でさえ、本屋と言えばやはりオランダ語の書物が中心、定期的にいくフランスも事情は同じだ。2年前、オックスフォードの本屋に行って、ものすごい量の英語の専門書の殿堂にたち、おもわず『歓喜』の声をあげそうになった。でも、99ユーロのキンドルブックを購入したことで、一気に世界中の英語書籍へのアクセスが可能となり、なおかつ、読みたい本を、自宅の居間でくつろいだ状態で、1秒以内に自分のものとすることができるようになったわけだから。

なんだか、電子ブックの先棒かつぎのような話になってきたが、、、

実は、私が気になっているのは、もしかすると、日本人は、ますます諸外国の人々と、英語文化への「浸り度」で格差が付き始めているのではないか、ということだ。


日本での「電子ブック」議論は、日本の出版業界の話が中心だったのではないか。消費者にとっては、「電子ブック」は外国の「出版物へのアクセス」を開くパワフルなツールであるという面は、どれほど真剣に議論されていただろう。

日本にももちろん翻訳出版の伝統はある。しかし『翻訳』は、所詮が原著者の声そのもではあり得ない。外国の文化に根差した内容は、「直訳」では伝わらない。よい訳者が必要だし、今の時代のスピード感にあう翻訳書を出していくのは、時間と労力から言って、あまり将来も続く話ではないと思う。しかし、今や世界語としての英語で書かれた膨大な量の書籍の中には、日本の出版業界では到底手の届かないレベルの高い議論と論拠を含んだ書籍が、絶対数として圧倒的に多数存在する。もともと、英語以外の言語で書かれている本が、「英語」に訳されているということ自体が、内容の高さ、世界の読者の関心の高さを表すものでもあるからだ。


そういう時代であるというのに、今でも、日本の学者・研究者の大半は、日本語と同じ濃密さで外国語の書籍に目を通している人が少ないように思う。

「生きた英語」と称して、小学生から英語会話を必修にしました、と言ってお茶を濁しているような時代ではないのだ。少なくとも、まだ、社会人として、世の中のことに役割を担っている人なら、今すぐに英語を「読みこなす」練習を始めるべきだと思う。そして、その材料は、電子ブックさえ手に入れれば、難なく始められる。

読者が求める情報の質が、英語文化へのアクセスを通して高まれば、日本の出版社の、誰が生き残るか見えてくる時代が来る。それとも、ただひたすらに、『鎖国』を続けるつもりなのだろうか。片や『維新』を叫び人心をつかもうとしている人たちは、果たして、どうやって世界スタンダードの情報を常時アップデートできているのだろう?

ただ、変な言い方かもしれないが、せっかくならば、日本の電子ブックは、英語書籍のために先に普及してくれるとよいな、ともひそかに思っている。なぜなら、スマートフォン初め、ネット文化の普及で日本が変わったのは、日本語文化内部でのコミュニケーションが濃密になったということだけで、英語サイトへのアクセスはほとんどないのが現実のようだからだ。変に出版界が電子ブックに一斉に移行したりなんぞすれば、またもや、電子ブックは持っていても英語の本なんか読まない、という人ばかりになってしまいそうだ。