Translate

2010/06/24

「ここ」と「今」から距離を置く:パラダイムシフト

 オランダの乳幼児教育の専門家を伴って日本に来た。2日間の研修の通訳・コーディネーターをしながら、彼が数年間にわたって組み立てた乳幼児教育プログラムの内容を改めてじっくりしっかり学ぶことになった。

 その中で彼がとても強調する考え方にディスタンシング理論というものがある。「ここ」と「今」から距離を置くことが、子どもにとって、そして、人間一般にとっては物事を把握し思考を深めていく際にとても重要だ、という。

 自分の生まれた土地を出て文化習慣、社会制度の異なる土地や国に暮らすことは、それまで「ここ」でしかものを考えられなかった自分に「あそこ」の視点を与える行為だ。「あそこ」に立って「ここ」を見直すことによって見えてくるものは多い。それは、本や情報を通しても疑似的に体験できることではあると思う。だが、字面の本はやはりメディアだ。映画や動画でさえも、視覚と聴覚を刺激しても、嗅覚や触覚までを刺激するものでは、残念ながらない。百聞は一見にしかずとはそのことを言うのだろう。

 -----

 「今」を見直すにはどうすればいいのか。
 歴史を学ぶことにほかならない。しかし、過去を五感で体験することはほとんど不可能だ。歴史家の書いた歴史書に頼る以外にない。しかし、それは、他人の目というフィルターを通した二次体験にすぎない。そして、その歴史家さえも、過去に居合わせそこで生きていたわけではない。

 過去の時代の社会状況、人々の暮らし向き、政治の様子、経済の状態、その時代のものの考え方、などをできるだけその当時のままに知るということは、どれだけ掘り起こしても探りきれないものだろう。しかし、その行為が、今の時代を見つめる目を養う。だから、歴史は、人に習うものではなく、自分自身が検証するものでなくてはならない。

 近い過去なら、その時代を生きた人たちの証言を聞くこと、遠い過去なら、その当時に使われていたもの、書かれたもの、など原資料をたどって現代というフィルターをできるだけ書けずに当時の人々の社会感覚の中で出来事を見直す作業が必要だ。

 それが、「今」という時代を、私たちが相対視する力をつけてくれる。未来はどうあるべきかを考える力を与えてくれる。

 だが、情けないことに、日本の学校でおこなわれる歴史の授業は、他人が自分の解釈で書き連ねた歴史の流れを知識として覚えることだけだ。「もう一つの教科書」論争はその問題を如実に表している。

 当時の論争は「どの解釈なら教科書として受け入れ可能か」という観点からだけ議論された。それは、あまたある解釈のうちのひとつ、one of themとしては誰も議論しなかった。
 数年前、私は、日本の中学校の歴史家の学習指導要領について調べてみたことがある。すると、その中に、20数か所、「この点についてはあまり深入りしないように」と書かれている。いずれも、歴史家によって、解釈の違いがあり争点になっている箇所だ。なぜ、そこに深入りしてはいけないのか。まさに、そういう箇所こそ、なぜこの人はこう解釈し、他の人は異なる解釈をしているのか、と議論すべき個所ではないのか。そんなことをいちいち議論していたのでは「授業が進まない」「1年間の課題を終えられない」「試験問題を出しようがない」施政者たちはそう思っているのかもしれない。

 しかし、ここでも、学校教育の受益者であるはずの肝心の生徒たちの権利はなおざりにされている。

 争点がある場所こそ議論をしてみるべきなのだ。それが、「今」を相対化して見直す、という歴史の意義を学んでいる子どもたちに、計り知れない好奇心を誘い、自分の「今」と「ここ」から距離を置くまたとない練習の場を提供するはずであるのに。

 歴史の勉強をするなら、いろいろな歴史書をつきあわせてみるに越したことはない。
 うまい具合に、日本の歴史を簡潔にまとめた学校の教科書という材料があるのなら、違う教科書を並べてつきあわせ、その違いは何か、違いはいったいどこからきているのか、それをやってみるに越したことはない。

 私たちの思考を深め、モノを考える力を養い、自分の頭で考える訓練の場を与えてくれるのは、「ここ」と「今」ではなく、「あそこ」と「過去」なのだ。それが、未来のあるべき姿を、それぞれに考え、みなでつきあわせて時代を切り開いていく力となる。

2010/06/17

鎧を着ない人・粋の真髄

 戸口から人が入ってくる。待ち合わせた場所で人と出会う。初めての人と電話で話す。

 そんな瞬間、こちらの心は五感の塊になる。その人は、今、どんな気分でいるのだろう、初めて会う人はどんな人なのだろう。そういう瞬間に言葉はいらない。人間とは不思議なもので、存在するというだけで、言葉がないまま、その場の雰囲気を変えてしまう。

 出会いの瞬間に心に鎧を着る人は多い。ふと、その瞬間に、自分を生の自分ではない、自分が理想としている人間像に変えて人に見せたい、という心が動くことはよくある。闘争心や嫉妬心がもしかするとその後ろに見え隠れしているのかもしれない。

 大げさな身振り手振り、世界の不幸を一人で背負ったようなしかめつら、毛羽立った化粧、奇をてらう声、目立ちたがりの服装、、、、

 なるほど、人は、自分を自分以上のものに見せたがるものなのだ。でも、それは向上心などではなく、場当たりの見栄にすぎないことの方がずっと多い。

 自分があるがままでいられる社会に暮らして随分と時がたった。

 どこに行っても、自分はどうせ外国人、奇異に見られて当たり前、という暮らしを続けてきた。

 時折日本に帰ってきてみても、私はもう、普通の日本人ではない。自分はそのつもりでも、周囲はそうは見てくれない。


 どっちにしたって、周りは私を「奇異」だと思うのだもの、別にどうでもいいじゃあないか、と開き直る癖がついてしまった。

 「何かに合わせる」その「何か」がなくなって随分と楽になった。
 鎧を着ずとも人に会えるようになった。

 最近、心地よい存在でありたい、と思う。その場に対して、そして、他の人に対して。

 粋とはそういうことなのではないか。

粋は、自分ではなかなかできない。けれども、しかめつらも、難しい言葉遣いも、奇をてらうこともしない、、、 そんな人が私は好きだ。そういう人のそばに近づいていって、何かたくさんの大切なものを、ひそかにもらい受けたい、おこぼれにあずかりたいと思う。そして、いつの日か、そんな粋な人間になれたら、と思う。人間、ただ、生まれたままに生きるだけではつまらない。美しく生きていたい。

2010/05/17

翼を広げて

 子どもの頃から、親兄弟がしているのと同じことはしたくない、と思ってきた。すでに親が長い時間をかけて熟練、到達したものをやるのは、踏み荒らされ、その結果またきれいに地ならしされた土地に足を踏み入れるようで嫌だった。それは言い訳にすぎず、実は、親が到達したレベルを超えられる自信がないというだけのことだったのかもしれない。
 学生の頃、無謀にもその頃まだほとんどだれも手をつけていなかった東南アジア研究に取り組んだのも、同じ気持ちからだった。先行研究がほとんどなく苦労したのは、先人の知恵に耳を傾けようとしなかった若気の至り。不勉強の罰があたったのだろう。

 人それぞれに性格があることだから、一概には言えない。でも、私自身は、自分が思い切り翼を広げて、自分で試し、成功したり失敗したりしながら自分なりの仕事を見つけていくという作業が好きだ。されがわたしの生き方だ、といっていい。追随したくない。自分だけのゆったりと広い場、夢を追いかけて翼を大きく広げられるゆとりや場が私にはいつも必要なものだった。

 そういう自分であるのに、わが子らに対しては、自分の思いや自分が蓄積してきたものを押し付けてしまうことが多かったのではないか、と思う。実際、無意識のうちにそうしてしまっている自分に何度も気づかされながら子どもたちを育ててきた。親とは実に勝手なものだ、と思う。

 自分がした苦労を子どもにはさせたくない、自分が達成したものを礎にして、その上でもっと発展してくれたら、、、、そんなことを考えるのが親というものであるらしい。しかし、子どもにしてみれば、そういう親の態度が、しばしば窒息するような気分を生んでしまう。いまだに未熟で、いろいろなスキルや情報を持たない子どもにとって、親が長年かけて積み上げてきた成果は、眩しすぎる。若人にとって、熟練した初老の先人の業績は、輝かしくて重すぎる。

-------

 親子も夫婦も、お互いに、お互いの興味や関心をのびのびと広げられる余裕を与えあうことは、互いの個性を伸ばし、互いに尊重し合える関係を築く基本であると思う。個性の中には、価値観もあるかもしれない。多少の価値観のずれは、むしろ、自分を見直すいいきっかけになる。

 そう気づいたら、親子も夫婦の関係も楽になった。もちろん、子どもたちや夫が、わたし自身に翼を広げて生きるゆとりを与えてくれ、その成果を無条件に喜んでくれるからにほかならない。家族というものは、また、そういう温かさのある、他の類のないものだ。

 結局、息子も娘も、夫や私が専門にしてきたこととは全く別の道を選んだ。そして、それぞれに、家族の中では、その道の「専門家」としての地位を築き始めている。少なくとも、お互いに、そんな風に尊重し合う大人でありたいと思っている。不思議なことに、それぞれが、異なる専門を持ち、異なる仕事にかかわっているにもかかわらず、自分の仕事に深くかかわり、何かの問題にぶつかったとき、お互いに共感できる何かに突き当たり、会話が、果てしなく興味深く続いていくということがしばしばある。結局、仕事も研究も、突き詰めれば、人の生き方、社会とのかかわり方にあるのだろう。それが、専門が違っていても、共感を生む原因なのだろう。

 人は、それぞれ、自分の得意な分野で自分の持っている能力を最大限に発達させればいい。そうして、同時に、自分とは異なる専門や技能を持つ人の言葉に、耳を開いておくのがよい。自分とは違う入り口からみた見方が、再び、自分自身の力を、ひょいとレベルアップさせてくれる。

 わが子らもが、それぞれ、私たち親とは全く違う専門を選び、いよいよ巣立ち始めた。
 翼を力いっぱいに広げて、自分の力を試したり、もっと大きな力をつけたりする場をもっともっと見つけてほしい。港に錨をおろしてしまわず、航海を続けていってほしい。そして、「これは私が自分の翼を大きく広げて、力いっぱい飛んでつかんだものだ」と、みずからの夢をなんどもなんども実現していってほしい。

 

2010/04/29

バラバラの個人で民主主義は可能か?

 政権が交代して半年余り、もともと、不況下のカネなしの政権だ、難航することは目に見えていた。そんな中で、「民主化」を再度根本から問い直さなくてはこの国の未来がない、という自覚が、政権にあることだけはよく読み取れる。

 メディアの方はといえば、政権交代以後、どっちを向いてモノを書いたらいいのかわからないらしく、参院選を前に、自民崩れの新党が生まれたといえば、やたら大声で書いている。少し、距離を持ってこの現象を眺めてみれば、早い話が、自民党の内側からの事実上の崩壊にすぎないのではないか、と思うのだが。

 案を出してみては叩かれる新政権。叩いているのは人か、日和見メディアか?いったいだれが選んだ政権なのか、マスメディアは何をしたいのか、、、。米国政府の対日見解は伝えられても、その背景としての米国社会の事情まで踏み込んだ解説はほとんどない。そんなにっちもさっちもいかない状況で、カネがない上、案も通せないとなれば、有権者に問いかける以外にない。なにしろ、民主主義国なのだから、、、と思い出したように、市民に脚光が浴び始めた。

 最近、新しい公共のための円卓会議初め、市民の声を集め、ネット上の議論を刺激するイニシアチブが、政権・官僚の方からとられている。民主化のスタンスにすぎないのかもしれない。反面、自民政権時代に比べると、ずっと市民にオープンで、案外本気なのかな、とも見える。だが、仮に本気で会ったとして、果たして、こういうやり方は、本当に、具体的な政策の実現、特に、急を要する問題の対策を決めていく際に、効果的であるのかどうか。

―――――

 多数決主義が究極まで行きつくと、社会は、完全に分極化してしまう。2大政党制のアメリカ合衆国はそのよい例だ。だが、日本の場合、マイノリティの声を取り上げないマスメディアのために、2大政党どころか、一党独裁が延々と続き、意図的、人為的にトップダウンの形で、無理やり多数派が作られてきた。しかも、多数派の価値観が、学校教育制度を通じて社会に敷衍されてきたのだからたまったものではない。社会は行きつくところまで究極の分極化の事態となった。

 円卓会議などの、市民の声を集めるやり方は、どうやら、アメリカあたりで発生してきた、市民意識活性化のメソッドであるらしい。だが、そういうやり方は、どこまで効果を発揮できるのか、、、、

 もともと、民主主義政治は、衆愚政治に陥りやすい。だから、そうならないための装置が必要だ。その装置の最も重要なものが公教育だ。公教育の中に、お互いに対立する意見を言いあう場、意見が対立していてもお互いを受け入れ、互いに場を与えあうという共生と協働に対する意欲的な姿勢、対立の中から共同のための合意を生み出す方法などを、子どもの時から練習していなければ、民主的な市民社会は成り立っていかない。

 そんなものが何もない状態で、不満と独善に満ちた人々が多数うごめいていたのが自民政権末期の状態だった。新政権では、そこに、政府が主導して人々がモノを言える場をつくるようになった。事業仕分けしかり、熟議議論しかり、、、だ。

 しかし、この数年、私たちは、ネット上の議論が、誰という指導者もないまま、結局は、意見の対立で硬直し、生産的な成果を生むよりも、個々の勝手な意見で雲散霧消するか、デッドロックに陥ってしまうような事態を頻々と見てきた。政府が、「公的に」公開した、市民の意見も、また、ありとあらゆる立場からのものであるだろう、それを、いったい、だれが、どんな権威で取りまとめていくというのだろう?そんなことが実際に可能なのだろうか。

―――――

 ふと、オランダには、そういうシステムがあるだろうか、と振り返ってみる。どうも、それに似たものはあまりない。なぜなのだろう、と考えて見て、はたと気づいたのは、オランダが、多党連立の政党政治であるという事実だ。有権者の一票が確実にみんな同じ比重で計算される完全比例代表制の選挙では、大政党も小政党も、同じ土俵に一様に並んでその政治指針を表明し、有権者の審判を受ける。

 こういう政党政治の背景には、どの立場もマジョリティではない、という多元主義の社会がある。権威を振り回せる人物や集団は、社会のどこにもいない。権威があるとしたら、政治的には中立の独立のシンクタンクだけだ。
 こういうオランダでは、時代とともに新しく登場するさまざまの社会問題に対して、大小の政党が、それぞれの立場を明らかにする。有権者は自分の立場に最も近いものを、複数の政党の中から選べる。また、自分の意見を反映する政党がなければ、自分で政党を作ればいい。小さな政党であっても、全国の有権者から票を集めれば、議席をとることができるからだ。

 9.11事件の後、専従のオランダ人たちと、イスラム教系の移民たちの間の関係がぎすぎすし始めた時、移民対策省の大臣は、イスラム系の人々に、一つの集団を作って、その内部で、政治的な立場を明らかにして、公表せよ、と示唆した。多元社会の中で、一つの束になった集団を構成し、団体で交渉せよ、といったわけだ。
 こんな例もある。王室行事や戦没者記念事業などをやるたびに登場する、反王制派や戦争被害者集団など、不満分子、一つ間違えば暴力に走らないとも限らない社会的な要因がある場合、そういった行事の場で、必ず、そういう反対派の人たちが集まる場が特別に、まるで特等席のように準備される。民主社会では、不満も抗議も、暴力を使わず、言葉で正々堂々とやってもらわなければ困る、そのための場を、私たちは排除しない、という政府のスタンスだ。

 これなどは、今日本で起きている、市民の声を引き上げるための、市民参加の場づくりに、似ているようであり、異なっているものでもある。
 異なっている点は、マイノリティのさまざまの立場を、<束>としてまとめるように政府が率先して刺激することだ。結局、そうでもしなければ、個々ばらばらの意見は収拾がつかなくなる。マイノリティ内部の、独善的な分子による意見対立などに、国はいちいちかかわっているひまはない。

 さて、日本は、どうやら「静かなる革命」の真っただ中にいるらしい。だが、革命ならば、それは成功裏に完成されねば革命とはいえない。良い、民主的な、市民社会の仕組みが、具体的形として作られなければ、議論の意味はない。そこに至るために、市民の声を漫然とオープンのフォーラムで引き上げる今のやり方がほんとうに効果的であるのか、、、、

 元来、民主主義は衆愚政治に陥りやすい、と前に言った。
 個々ばらばらの人々の議論ではまとまりがつかないことは、初めからわかっていたことなのだ。だから、政党政治の形が生まれた。しかし、各国の政党政治は、民主的な制度という観点から見た時に、さまざまの問題をいまだに持っている。小選挙区制はその象徴だ。小選挙区制は、カネや権力を持っているものが、一件「民主的」な制度の中で、どう票集めをするかの小賢い手段であるとすら言える。

 本当に効率よく、民主的な社会を作りたいのであれば、小選挙区制を廃止して、比例代表制の政治にすればいい。本当に、民主的な社会を望むのであれば、新聞などのマスメディアへの圧力を緩め、マスメディアに、マイノリティの声がそのまま反映されるような仕組みにすればいい。そうしてこそ初めて、市民一人ひとりに等価の選択肢が与えられる。そうすれば、後援会もいらなければ、コネもカネもいらなくなる。国庫支出の無駄は大きく節約される。これまで体制マスメディアに顧みられることがなく、烏合の衆とみなされてきた顔のない人々が、選ぶ主体、考える主体として、主体的・能動的に社会に参加する市民になる。
 余計なカネをかけて、パンドラの箱を開け、収拾のつかないカオスを招き寄せるような回り道はせずに済むはずなのに、、、。

――――

 されど日本、、
 世の中の変革は、社会の中に、現今の問題を意識し、それに苦悩している人の数が絶対数として高まり、何かが飽和状態にならないと動き出さないものであるらしい。去年の政権交代は、それを思わせる事態だった。それが人々目に見える形になって現れること、市民自身が体験的にそれを学べること、今、日本で起こっている市民参加の円卓会議的なやり方には、少なくともその効果だけは期待できるのかもしれない。問題は、そういう社会の刻一刻と動き形を変えている事態を、人々がつかめるような記事を、マスメディアがどれだけ成功裏に流し続けることができるか、だ。

2010/03/03

No evidence is not an evidence

 No evidence is not an evidence
「証拠がないということは証拠ではない。」

 そう教えてくれたのは、大学に入って1年目、論文の書き方の授業を受けていた娘だった。

 何かがない、と言い切ることはできない。なぜなら一つでも反証となる事実が見つかれば、『ない』という表現は直ちに無効となるからだ。このことを感覚的・経験的に感じていた私は、それまでも、何かが『ない』という表現はできるだけ避けるようにしてきていた。だから、娘が教えてくれた表題の表現は、思わず膝を打つような思いで聞いた。同時に、なるほど、オランダでは、科学論文や論理学の原理原則として、こういうことを若いうちにみんな学ぶものなのだ、と、またしても、自分が受けてきた日本の教育の粗雑さを再認識したのだった。

 (もっとも、それからしばらくの後、自分が書いた本のタイトルに編集者から『OOゼロ、OOゼロ』というタイトルをつけられることとなり、多少の抵抗はしてみたのだが、そのタイトルが気にいってしまっている編集長に抗う術はすでになく、苦笑しつつも妥協してしまったのだが、、、)

 実に、『何かがない』ということは証明が不可能なことだ。なぜなら、すべての事例を悉皆調査することは不可能であり、一つでも『ある』ことが証明されれば、『何かがない』という表現は根底から覆されることになるからだ。

 南京大虐殺をめぐって、また、その他の軍の残虐行為をめぐって、日本では、『あった、なかった』の議論が延々と繰り返されてきた。たったひとり、誰かが『ない』とか『なかった』などということは、証明しようにも証明できないものなのだ、と明言していれば、こんな不毛な論争を続ける必要はなかったはずだ。こんなところにも、日本人の『科学』意識の貧困が垣間見られる。

 科学は倫理をささえるためにも使われる。

 虐殺は、一つでも『あった』のなら、動かしがたい現実だ。
 その数が、1万であったのと、10万であったのとで、倫理に違いがあるものだろうか。人が、人を、理由が何であれ、殺してしまうという事実は、たとえそれが、一つ限りであったとしても、その罪を犯した人は責を免れることはないはずだ。そして、そういう事態を引き起こしながら、見て見ぬふりをしている大衆を生み続ける社会もまた、たった一人の被害者に対して、大きな責任を持っているはずだ。

 私たち日本人は、いまだかつて一度も、そういう、一人ずつの尊厳を踏みにじった過去について、共に深く考えてみたことがない。

自己陶冶なき日本の”近代”

 明治になって、日本の近代は、西洋の制度を模倣することから始まった。
 当時、日本の小学校制度はフランスの制度を模倣し、中等教育にはドイツの影響が大きかったという。
 
 敗戦後、しかし日本は、明治維新以来の制度が軍国主義の制度であることに目覚める。あたかも、軍国主義を払拭するかのように、アメリカの制度が、特に教育においては、アメリカの6・3・3制が、民主主義教育の理想型であるかのように導入され、受け入れられた。

 しかし、こうした過程の中で、日本人の、おそらく大半が気づいていない大きな落とし穴があったのではないか。
 第1に、元来、近代とは、何らかの権威に対して、市民が意思表明をして生まれるものであるにもかかわらず、日本では、それが、封建的な権威者である官僚制度を通して、単なる形骸的な制度として移植されたにすぎなかったこと、第2に、民主主義とは、その名の通り、その時代に生きるその社会の人々の意思の総体の上に成り立つもので、したがって、時代が持つ社会環境の変容とともに常に変わり続けるもの、常に環境に適応し続けるものであるということだ。

 だが、哀しいことに、多分、後発近代国家の宿命とも言うべきものなのかもしれないが、日本の近代化は、市民参加を抜きにした、単なる形骸に過ぎなかったし、日本の民主主義もまた、人々の参画のない、したがって、官制の制度にばかばかしいほどに呪縛されたものであった。

 それが、結果として、制度疲労を招き、市民の参加意欲をそぎ取る、形だけの『民主国家』を生むこととなった。

 あの、麗しきヨーロッパ、マロニエの葉の茂る、シャンゼリゼの風薫るフランスから来た小学校制度は、今も、日本の小学校の原型であり続けている。たとえそれが、『国民教育』という名で、のちに、種々のヨーロッパ諸国で議論の的になった制度のあり方であったことなど、まるで頓着もしないかのように、、、
 本場の、民主主義社会の先進地域ヨーロッパでは、その制度は、絶えず、自己陶冶を続けているにもかかわらず、だ。

 『先進』国にはモデルがない。『先進』国であり続けるには、人々の知恵を集めて自己陶冶を続けるしかない。日本が、真の意味で『先進』国になれないのは、どこからか出来上がったものを探してきて移植しさえすればよい、という潜在意識にとらわれ続けているからだ。

 同時に、ヨーロッパの先進国を、真に深刻に目指していたのであれば、いったい、なぜこんなにも日本のマスメディアと学界とは、ヨーロッパの現場の姿の情報を恒常的に追い続けることが肝要であるかということに覚悟を決めて取り組んでこなかったのだろうか。
 マスメディアと学界の、この点でのナイーブさは、尋常ではない。英語圏の情報はおろか、それ以外の、せめて、ドイツ、フランス、オランダ、北欧諸国といった国々の情報について、周到な研究の厚みが日本にはない。後発近代の自覚があるのなら、独自の近代を陶冶するためにも避けられない情報がそこにはあるはずなのに、日本のマスメディアや学界から聞こえてくるヨーロッパの情報は、散発的で、共有された基礎認識を欠いている。しかも、『科学』たるもの、現場の実証的な事例から出発すべきものであるにもかかわらず、マスメディアの情報は、場当たり的な偶然の事例を歴史的文脈から離れたところで論じていたり、学界は、不足の情報を、日本的なパラダイムの中だけでこねくり回しただけの理屈にすぎないものがあまりに多すぎる。

 日本の危機があるとすれば、それは、小さな日本という世界の辺境の地の中で、あたかもぬくぬくと自己完結しようとし、必要であるとは分かっているのに、怒涛のように変容し続ける、そして、自己陶冶を遂げ続ける、本当の意味での先進国に会えて仲間入りをすることをためらい続ける、『鎖国』の中だけで生存が約束されているマスメディアと学界ではないか、、、そう思う。

2010/02/13

信頼

 人に聞かれて自分が教えてあげたこと、自分が何かに書いていたこと、論文、発表したことが、他の人の筆や口から、あたかもその人のものであるかのように使われたことが、これまで2度あった。

 ああでもない、こうでもないと考え続け、身銭を切って調査し、やっと引き出した自分の業績には、誰だって執着と誇りがある。そうでなくとも、他人の言葉は、必ず、その人の名を出して、つまり情報の原点を示すことは、少なくとも『科学』という名の活動を専門とし、それでよそ様からカネをもらって生きている人間にはなくてはならないことであるはずだ。

 しかし、そうなってみれば、『やられた』側は、裁判にかけるか、諦めるしかない。盗作をした人間が、社会的地位や権威のある組織の人間であれば、同じ地位と組織を持つ同僚らは、それを表ざたに認めることで汚名を着ないためにも、その罪を犯した人を、まずは庇護することは目に見えている。

 だから、そんな盗人猛々しい行為をする人とその同僚たちに自分自身の尊厳を傷つけられることがないために、盗作者たちと同じ土俵に立って、相手を追求することは、自分のために避けてきた。おそらく、盗作した人間は、心のどこかで、自分自身に誇りを持てない哀しさを抱え持って生きていくことだろう、それがその人にとっての人しれない罪悪感として続くのであろうから、それでいい、そう思ってきた。

 最近、そういう経験が、3度に増えた。

 何が哀しいか、って、、、、盗まれることが哀しい、悔しいのではない。そうやって、人の尊厳を微笑みの裏で平気で踏みにじっていく人間が、結局は、私を、他人を無条件に信頼することに躊躇させる、用心深い人間にさせてしまうことが哀しい。
 右の頬を打たれたら、左の頬を出せ、、という。しかし、その、わが頬を打つ人間が、まるで、小便をかけられてもつるりと目をむく蛙のようであれば、、、傷ついている自分が、やはり情けない。それでも、天や仏や神は、『ゆるせ』という。たぶん、『ゆるす』という行為を、自分から進んでしなければ、人間不信に足を取られることしか、わたしの背後に残されないからだと思う。

 3人とも、人の人間形成にかかわる仕事にかかわっている人たちである。罪作りなことだ。

 なぜか、3つの、この苦い経験は、日本で、日本人の手によってしか味わったことがない。

2010/02/05

世界中の図書館を抱えて生きる時代

 アップル社からiPadの発売が公表された。まるで、昔ヨーロッパで使われた石板を連想させるような薄い電子板だが、なんと、その一枚の板を指で触るだけで得られる情報の多いこと。

 新聞、雑誌などで結構な話題になっている。
 誰もが『世界中の図書館を小脇に抱えて生きる時代』になった、という。iPodの人気からしても、きっとすさまじい勢いで世界中に普及していくことだろう。
 実に、私が学生の頃は、卒論を書くために、夜行列車に乗って地方から東京に出ていき、やれ国会図書館、やれ、教育研究所と足を運んでは、立ち並ぶ初夏の前に呆然としながら分厚い報告書を引っ張り出し、半日かけてコピー、開いてみるまで、どれだけ自分の関心に近い内容なのかもわからない、というような状況だった。
 それが、今や、キーワード検索だけで、あっという間に、引き出したい情報に接近できる。
『知識は魚のようなもの、朝は新鮮だが夕方には腐っている』
という言葉があるが、もはや、知識は、事前に用意しておかなくても、必要な時には電子板一枚で引き出せるものになりつつある。

 電子媒体による情報提供のおかげで、出版界や新聞業界などが泡を食っているのは、日本に限らずこちらも同じだ。それだけに、iPadの発売を前に、出版界も、今後どううまく紙媒体から電子媒体への移行を進めるか、はらはらしながら見守り、後れを取るまいとしているように見える。

 考えてみれば、紙が要らなくなることで、環境保全に役立つというだけではなく、印刷、製紙、運搬などの、本作り・新聞作りに占める、おそらく半分以上のコストが削減されるだろう。しかし、最後まで決してなくならないのは、人間の頭の中の作業だ。書き手の創造力・思考力・構成力・伝達力、それを読み手にうまく伝えるための工夫をする編集者の力、これらは、たとえ、紙媒体が電子媒体になっても、最後まで残るだろう。

 これまで、コスト高の本作りのために、大衆迎合的な内容であっても作り続けなければ経営を賄い切れなかった出版業界は、電子媒体の導入によってスリム化されることだろう。過渡期の痛みは大きいだろうが、いずれ、本質的に質の高い情報が自然淘汰されていく時代が来ると思う。いい時代になる。

 誰もが、それと望めば、世界中の図書館を小脇に抱えて生きる時代。
 知識は、エリートの特権ではなくなった。

 さて、問題は、、、
 英語を使えない、忌避する、日本人のエリートたち。今後ますます世界の知識社会に取り残され、どこから手をつけていいかわからない時代がやってくる。
 
 ほんの数年前、オランダの高等教育について説明している席上で、ある有名大学の教授は
『オランダにはエリート教育ってないんですか、、、、東大みたいな大学、、、ないんですか』
といかにもバカにしたように質問をしてきた。

『エリート候補生は、中等教育で幅広い教養を身につけ、それから大学に進みます』
というのが、私の答えだった。

 エリートとは何か、、、
 少なくとも、(本当はこれまでもそうだったはずだが)知識の量で測れるものではないはずだ。