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2011/07/02

時代を変えるのは若者たち

 震災後の日本を訪れた。
何よりも若者たちが変わったと感じた。真剣さが違う。

私たちの世代のことを思う。
物心ついたころ、日本にはまだ、プラスチック製品などなかった。お弁当箱はアルマイト、おもちゃはセルロイドだった時代だ。煙を出してシュッポシュッポと行く汽車に乗れば、駅弁と一緒に陶器に入ったお茶が買えた時代だ。
でも小学生に入ったころからあれよあれよという間に、世の中がプラスチック製品でいっぱいになった。インスタント食品があふれ、化繊衣料や混紡衣料が増えた。
学生時代には、大型コンピューターが一台あるコンピューターセンターで、紙製のカードにキーパンチャーで穴をあけてデータを入力していた。

たった一世代の間に、地球はこんなにも汚れてしまったのか、と思う。

地球を汚しながら、さまざまの矛盾をごみ屑のようにためながら、私たちの世代は生きてきたのではないのか? それをいまさら、若者たちよがんばれ、というには、あまりにも心苦しい。申し訳ないとさえ思う。

―――

しかし、社会というものを大きく変えるのは、いつの世もどこの土地でも若者の力だ。

差別と闘い、すべての人の平等を原理として取り入れていった60年代後半以降の欧米先進社会の社会変革は、若者によって担われたものだ。

ある社会学者は、人間の価値観は、20代半ばまでに決まり、それ以降はあまり変化しないのだ、ということを調査で証明している。社会の現状にある矛盾に築き、それと闘おうと決意した若者が、結局は、一生を通して、変革を進める力になるというのだ。

恥ずかしながら、溢れるような物質に埋もれきった60年代70年代に青年期を過ごした自分自身も、「何か変」「これでいいのか」と思いつつ、何もできないままここまで来てしまった。できたことは、日本を離れ、外から日本を見てきたことだ。ようやく、最近になって、日本の置かれている世界での一夜、時間軸の上での文明発展の段階のようなものが、ぼんやりと見えてきた。

今の若い人たちのために、何か力になりたい。

震災にすべてを流され、原発が林立する放射能汚染大国という汚名を着た日本に生を受け、それでも、これからまだ40年も50年も暮らしていかなくてはならない若者たち。「自由」と「幸福」と「安心」を躊躇することなく求めてほしい。そして、そのために何をすればいいのか、しっかり議論してほしい。独りよがりの独善に陥るのではなく、お互いに尊重しあって生きる共生の社会のために、あえて議論を続けてほしい。


そういう議論のために、もしも私に何か貢献できるものがあれば、ぜひとも利用してほしい。若いころには見えなかったいくつかのことが、今、私には見えているから。