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2010/03/03

No evidence is not an evidence

 No evidence is not an evidence
「証拠がないということは証拠ではない。」

 そう教えてくれたのは、大学に入って1年目、論文の書き方の授業を受けていた娘だった。

 何かがない、と言い切ることはできない。なぜなら一つでも反証となる事実が見つかれば、『ない』という表現は直ちに無効となるからだ。このことを感覚的・経験的に感じていた私は、それまでも、何かが『ない』という表現はできるだけ避けるようにしてきていた。だから、娘が教えてくれた表題の表現は、思わず膝を打つような思いで聞いた。同時に、なるほど、オランダでは、科学論文や論理学の原理原則として、こういうことを若いうちにみんな学ぶものなのだ、と、またしても、自分が受けてきた日本の教育の粗雑さを再認識したのだった。

 (もっとも、それからしばらくの後、自分が書いた本のタイトルに編集者から『OOゼロ、OOゼロ』というタイトルをつけられることとなり、多少の抵抗はしてみたのだが、そのタイトルが気にいってしまっている編集長に抗う術はすでになく、苦笑しつつも妥協してしまったのだが、、、)

 実に、『何かがない』ということは証明が不可能なことだ。なぜなら、すべての事例を悉皆調査することは不可能であり、一つでも『ある』ことが証明されれば、『何かがない』という表現は根底から覆されることになるからだ。

 南京大虐殺をめぐって、また、その他の軍の残虐行為をめぐって、日本では、『あった、なかった』の議論が延々と繰り返されてきた。たったひとり、誰かが『ない』とか『なかった』などということは、証明しようにも証明できないものなのだ、と明言していれば、こんな不毛な論争を続ける必要はなかったはずだ。こんなところにも、日本人の『科学』意識の貧困が垣間見られる。

 科学は倫理をささえるためにも使われる。

 虐殺は、一つでも『あった』のなら、動かしがたい現実だ。
 その数が、1万であったのと、10万であったのとで、倫理に違いがあるものだろうか。人が、人を、理由が何であれ、殺してしまうという事実は、たとえそれが、一つ限りであったとしても、その罪を犯した人は責を免れることはないはずだ。そして、そういう事態を引き起こしながら、見て見ぬふりをしている大衆を生み続ける社会もまた、たった一人の被害者に対して、大きな責任を持っているはずだ。

 私たち日本人は、いまだかつて一度も、そういう、一人ずつの尊厳を踏みにじった過去について、共に深く考えてみたことがない。

自己陶冶なき日本の”近代”

 明治になって、日本の近代は、西洋の制度を模倣することから始まった。
 当時、日本の小学校制度はフランスの制度を模倣し、中等教育にはドイツの影響が大きかったという。
 
 敗戦後、しかし日本は、明治維新以来の制度が軍国主義の制度であることに目覚める。あたかも、軍国主義を払拭するかのように、アメリカの制度が、特に教育においては、アメリカの6・3・3制が、民主主義教育の理想型であるかのように導入され、受け入れられた。

 しかし、こうした過程の中で、日本人の、おそらく大半が気づいていない大きな落とし穴があったのではないか。
 第1に、元来、近代とは、何らかの権威に対して、市民が意思表明をして生まれるものであるにもかかわらず、日本では、それが、封建的な権威者である官僚制度を通して、単なる形骸的な制度として移植されたにすぎなかったこと、第2に、民主主義とは、その名の通り、その時代に生きるその社会の人々の意思の総体の上に成り立つもので、したがって、時代が持つ社会環境の変容とともに常に変わり続けるもの、常に環境に適応し続けるものであるということだ。

 だが、哀しいことに、多分、後発近代国家の宿命とも言うべきものなのかもしれないが、日本の近代化は、市民参加を抜きにした、単なる形骸に過ぎなかったし、日本の民主主義もまた、人々の参画のない、したがって、官制の制度にばかばかしいほどに呪縛されたものであった。

 それが、結果として、制度疲労を招き、市民の参加意欲をそぎ取る、形だけの『民主国家』を生むこととなった。

 あの、麗しきヨーロッパ、マロニエの葉の茂る、シャンゼリゼの風薫るフランスから来た小学校制度は、今も、日本の小学校の原型であり続けている。たとえそれが、『国民教育』という名で、のちに、種々のヨーロッパ諸国で議論の的になった制度のあり方であったことなど、まるで頓着もしないかのように、、、
 本場の、民主主義社会の先進地域ヨーロッパでは、その制度は、絶えず、自己陶冶を続けているにもかかわらず、だ。

 『先進』国にはモデルがない。『先進』国であり続けるには、人々の知恵を集めて自己陶冶を続けるしかない。日本が、真の意味で『先進』国になれないのは、どこからか出来上がったものを探してきて移植しさえすればよい、という潜在意識にとらわれ続けているからだ。

 同時に、ヨーロッパの先進国を、真に深刻に目指していたのであれば、いったい、なぜこんなにも日本のマスメディアと学界とは、ヨーロッパの現場の姿の情報を恒常的に追い続けることが肝要であるかということに覚悟を決めて取り組んでこなかったのだろうか。
 マスメディアと学界の、この点でのナイーブさは、尋常ではない。英語圏の情報はおろか、それ以外の、せめて、ドイツ、フランス、オランダ、北欧諸国といった国々の情報について、周到な研究の厚みが日本にはない。後発近代の自覚があるのなら、独自の近代を陶冶するためにも避けられない情報がそこにはあるはずなのに、日本のマスメディアや学界から聞こえてくるヨーロッパの情報は、散発的で、共有された基礎認識を欠いている。しかも、『科学』たるもの、現場の実証的な事例から出発すべきものであるにもかかわらず、マスメディアの情報は、場当たり的な偶然の事例を歴史的文脈から離れたところで論じていたり、学界は、不足の情報を、日本的なパラダイムの中だけでこねくり回しただけの理屈にすぎないものがあまりに多すぎる。

 日本の危機があるとすれば、それは、小さな日本という世界の辺境の地の中で、あたかもぬくぬくと自己完結しようとし、必要であるとは分かっているのに、怒涛のように変容し続ける、そして、自己陶冶を遂げ続ける、本当の意味での先進国に会えて仲間入りをすることをためらい続ける、『鎖国』の中だけで生存が約束されているマスメディアと学界ではないか、、、そう思う。

2010/02/13

信頼

 人に聞かれて自分が教えてあげたこと、自分が何かに書いていたこと、論文、発表したことが、他の人の筆や口から、あたかもその人のものであるかのように使われたことが、これまで2度あった。

 ああでもない、こうでもないと考え続け、身銭を切って調査し、やっと引き出した自分の業績には、誰だって執着と誇りがある。そうでなくとも、他人の言葉は、必ず、その人の名を出して、つまり情報の原点を示すことは、少なくとも『科学』という名の活動を専門とし、それでよそ様からカネをもらって生きている人間にはなくてはならないことであるはずだ。

 しかし、そうなってみれば、『やられた』側は、裁判にかけるか、諦めるしかない。盗作をした人間が、社会的地位や権威のある組織の人間であれば、同じ地位と組織を持つ同僚らは、それを表ざたに認めることで汚名を着ないためにも、その罪を犯した人を、まずは庇護することは目に見えている。

 だから、そんな盗人猛々しい行為をする人とその同僚たちに自分自身の尊厳を傷つけられることがないために、盗作者たちと同じ土俵に立って、相手を追求することは、自分のために避けてきた。おそらく、盗作した人間は、心のどこかで、自分自身に誇りを持てない哀しさを抱え持って生きていくことだろう、それがその人にとっての人しれない罪悪感として続くのであろうから、それでいい、そう思ってきた。

 最近、そういう経験が、3度に増えた。

 何が哀しいか、って、、、、盗まれることが哀しい、悔しいのではない。そうやって、人の尊厳を微笑みの裏で平気で踏みにじっていく人間が、結局は、私を、他人を無条件に信頼することに躊躇させる、用心深い人間にさせてしまうことが哀しい。
 右の頬を打たれたら、左の頬を出せ、、という。しかし、その、わが頬を打つ人間が、まるで、小便をかけられてもつるりと目をむく蛙のようであれば、、、傷ついている自分が、やはり情けない。それでも、天や仏や神は、『ゆるせ』という。たぶん、『ゆるす』という行為を、自分から進んでしなければ、人間不信に足を取られることしか、わたしの背後に残されないからだと思う。

 3人とも、人の人間形成にかかわる仕事にかかわっている人たちである。罪作りなことだ。

 なぜか、3つの、この苦い経験は、日本で、日本人の手によってしか味わったことがない。

2010/02/05

世界中の図書館を抱えて生きる時代

 アップル社からiPadの発売が公表された。まるで、昔ヨーロッパで使われた石板を連想させるような薄い電子板だが、なんと、その一枚の板を指で触るだけで得られる情報の多いこと。

 新聞、雑誌などで結構な話題になっている。
 誰もが『世界中の図書館を小脇に抱えて生きる時代』になった、という。iPodの人気からしても、きっとすさまじい勢いで世界中に普及していくことだろう。
 実に、私が学生の頃は、卒論を書くために、夜行列車に乗って地方から東京に出ていき、やれ国会図書館、やれ、教育研究所と足を運んでは、立ち並ぶ初夏の前に呆然としながら分厚い報告書を引っ張り出し、半日かけてコピー、開いてみるまで、どれだけ自分の関心に近い内容なのかもわからない、というような状況だった。
 それが、今や、キーワード検索だけで、あっという間に、引き出したい情報に接近できる。
『知識は魚のようなもの、朝は新鮮だが夕方には腐っている』
という言葉があるが、もはや、知識は、事前に用意しておかなくても、必要な時には電子板一枚で引き出せるものになりつつある。

 電子媒体による情報提供のおかげで、出版界や新聞業界などが泡を食っているのは、日本に限らずこちらも同じだ。それだけに、iPadの発売を前に、出版界も、今後どううまく紙媒体から電子媒体への移行を進めるか、はらはらしながら見守り、後れを取るまいとしているように見える。

 考えてみれば、紙が要らなくなることで、環境保全に役立つというだけではなく、印刷、製紙、運搬などの、本作り・新聞作りに占める、おそらく半分以上のコストが削減されるだろう。しかし、最後まで決してなくならないのは、人間の頭の中の作業だ。書き手の創造力・思考力・構成力・伝達力、それを読み手にうまく伝えるための工夫をする編集者の力、これらは、たとえ、紙媒体が電子媒体になっても、最後まで残るだろう。

 これまで、コスト高の本作りのために、大衆迎合的な内容であっても作り続けなければ経営を賄い切れなかった出版業界は、電子媒体の導入によってスリム化されることだろう。過渡期の痛みは大きいだろうが、いずれ、本質的に質の高い情報が自然淘汰されていく時代が来ると思う。いい時代になる。

 誰もが、それと望めば、世界中の図書館を小脇に抱えて生きる時代。
 知識は、エリートの特権ではなくなった。

 さて、問題は、、、
 英語を使えない、忌避する、日本人のエリートたち。今後ますます世界の知識社会に取り残され、どこから手をつけていいかわからない時代がやってくる。
 
 ほんの数年前、オランダの高等教育について説明している席上で、ある有名大学の教授は
『オランダにはエリート教育ってないんですか、、、、東大みたいな大学、、、ないんですか』
といかにもバカにしたように質問をしてきた。

『エリート候補生は、中等教育で幅広い教養を身につけ、それから大学に進みます』
というのが、私の答えだった。

 エリートとは何か、、、
 少なくとも、(本当はこれまでもそうだったはずだが)知識の量で測れるものではないはずだ。


2010/01/30

北風と太陽

 日本の子どもの自己肯定感が低いことは有名だ。
 自己肯定感が低いのは子どもだけではないと思う。

 入試競争が教育制度全体に大きな影を落としている日本。入試制度と学歴社会がある限り、どんな小手先の改革をしたって失敗することは目に見えている。

 なぜ、こんなに入試にこだわらなくてはいけないのだろう。なぜ、東大を頂点とした学歴社会が、あたかも、日本の発展の象徴的なメカニズムのように信じ続けられているのだろう。

 日本の大学の質は、全体として、欧州の大学との単位互換をしようにも、水準が不明瞭でできない、ということを、いったい日本ではどれだけの識者が自覚しているだろう。
 欧米の先進諸外国に留学する日本の若者たちが、そこで、言葉だけではなく、どれだけ学術研究のために必要な技能の不足に嘆き苦しむ日々を過ごさねばならないか、ということは、そうして苦労してきた人たちの口からはなかなか伝えられない。

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 入試競争は、自己肯定感よりも、劣等感を多くの子どもたちに植え付ける。
 有名大学に行くだけの学力を達成できなかった、そして、それがために、自身が持っている他のあらゆる能力の発達を顧みられることのなかった子どもたち。この子どもたちは、不当に、いわれのない劣等感を身につけ残りの人生を送ることとなる。

 でも、東大に受からず、有名私立大学に行くことになった学生はどうか。そんな人にさえ、心の底に劣等感の種はまかれたのではないのか。
 官僚たちでさえ、そうだという。東大出でも、一流は財務官僚、文科省の官僚なんて、国家公務員でも3流だから、という声は、これまで何度も聞かされた。

 こんな話、オランダ人にしたら、さぞかし、腹を抱えて笑うことだろう、と思う。

 実に、、いわれなき、そして、無用な劣等感を世の中にまき散らし続けるのが日本の教育だ。

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 そうして、そんな教育が、少なくとも、戦後65年もの間、、<戦後民主教育>という美名のもとで続けられてきたのだ。それなのに、識者たちは、
『どうして日本の子どもには自己肯定感がないのだろう』
としかめっ面で嘆く。

 あきれて、空いた口がふさがらない。

 今日本に生きている大人も子供も、みんなが、そういうパラダイムの中に生きている。

 入試はあって当たり前、世の中は、ピラミッドのように社会が作られていて、天辺に到達するまでは、劣等感が皆無の地位には辿りつかないのだ、と。

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『だめじゃないの、しっかり勉強しなくちゃ』
『OOちゃんをみてごらんなさい』
『しっかり勉強しないとお父さんのようになるわよ』
『お前だめだなあ』
『何やってんだ、そんなとこで』

そう親から言い続けられ、
学校に行けば、

声たかだかと胸を張って、まるでテレビに出てくるスター教師のように
『どうだ、みんな元気かい、頑張るんだぞー』
などとはっぱをかけられる子どもたち。

これでも、子どもたちの孤独と劣等感とが見えないのなら、それは、よほど人としての感情にかけているか、人としての感情を素直に認めて生きることを妨げられているから、としか言いようがない。

―――――

 北風と太陽の寓話は有名だ。

 私たちは、木のように、みんな一人ひとり、自分の成長に必要なものをビルトインされて生きている。それを引き出してくれるのは、北風ではなく、太陽だ。

 あなたが、子どもとかかわる大人なら、どの子どもにも、太陽のような愛情を降り注いでほしい。決して、北風のような冷たいまなざしと言葉ははかないでほしい。

 でなければ、この社会は10年後、20年後、みな、お互いに後ろ向き、協力する気力等一つも持たない、乾き切った枯れ木のような愛情のない人たちばかりの、砂漠のような社会になってしまうだろうから。

2010/01/26

オランダ人のハイチへのまなざしに想う

 地震で住まいも街も瓦礫と化し、何万人もの人命が失われたハイチ。
 オランダのニュースは、以後、ほとんど毎日のようにその後の現地の事情を時間をかけて伝えている。
 
 早速、救済チームが現地に飛んだ。オランダには、政府機関のほか、フットワークが軽い民間団体も多い。
 養子斡旋のNPOは、現地の孤児をオランダで養子にしたいと希望している人たちのもとに連れてこれるように、早々政府に資金援助の申請をし、すぐに実施が決まった。地震からわずか1週間ほどのことだ。

 先週21日は、ハイチ救済アクションデー。
 前日、全国紙には、半面―1面を割いて、大きな広告が出、当日は、朝の6時から夜11時半まで、テレビやラジオで、募金回収のボランティアイベントが続いた。
 テレビのスタジオは、ちょうど大学の階段教室のように設定され、無料電話を受信する有名人が居並ぶ中、視聴者の関心を引くチャリティーショーが続いた。

 無料電話を受け付けているのは、日ごろからよく顔の知られた有名人たち。大半は、タレント、コメディアン、歌手、スポーツ選手らだが、その中に、首相、副首相、野党の政治家、日ごろ反イスラムで排斥的な発言を繰り返している「極右」系の野党党首も、ニコニコしながら、募金の寄付を受け付けている。バルセロナの郊外に豪邸を持つプロのサッカー選手も、かかってくる電話に、休みなく応対している。女王の妹君も、皆と一緒に、オレンジ色のT シャツを着て電話に応えている。

 有名人も庶民も、みんな平等な人間だ、というオランダ人の得意のイメージが、今回もまた強烈に視聴者に印象付けられる。

 電話寄付だけでなく、会場には、学校や職場で募金を集めてきた人たちも招かれていた。小学校2年生くらいの女の子が、学校で集めたお金を持ってきたという。3765ユーロ22セントと、50万円余りのお金の額を、セントまできちんと発表させることの大切さ。

 オランダには数少ないミシェランガイド推薦・スター(星印)つきレストランでは、シェフらが、レストラン前の路上に出て、自家製のスナックを通行人に振舞いながら、募金アクションに参加しているシーンが伝えられる。宣伝効果といえば確かにそうだが、ミシェラン・スターがつくほどのレストランには、わざわざこんな宣伝をするまでもないはずだ。企業も一般市民と同じように、人道主義のアクションに参加することに意義がある。

 『オランダは一つになって、海の向こうで今天災に苦しんでいる人たちのために募金をしている』というメッセージが、こうして、国を挙げて丸一日繰り返された。

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 同日昼過ぎ、エイントホーベンの空港に、数10人のハイチの孤児らが、養子斡旋団体の職員やスチュワーデスに手をひかれて到着した。ニュースを伝えるテレビの画面では、まず、ハイチで、現地にいるオランダ軍の兵士らの大きな腕に抱かれて飛行機に搭乗している孤児たちの様子が伝えられた。わずか10日ほど前に、突如として、親や兄弟を失った子供たちだ。どんなに不安な昼夜を過ごしたことだろう。迷彩服を着た、たくましいオランダ人兵士の腕の中で、子どもたちの表情が、安堵で和らいでいるのがよく見えた。熱帯のカリブ海から、真冬の北国オランダに到着した子どもたちは、防寒のためか、大きな毛布をまとい、その毛布を引きずりながら、空港の建物までを歩いていた。黒い肌の子どもたちが、白い肌のオランダ人の手をしっかり握りしめ、信頼しきっている表情に、画面を見ているだけの私すらも、涙が溢れるのをこらえきれなかった。

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 オランダでは、外国人の孤児をよく養子にする。70年ごろから頻繁に行われていることで、スーパーマーケットでも、路上でも、肌の色の違う親子を目にすることは少しも珍しいことではない。オランダで育った子供が、やはり、自分の本当の親に会いたい、生まれた国を見てみたい、と思うこともあるのだろう。それをテーマにしたテレビ番組さえある。

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 肌の色が違う子どもでも、言葉が分からなかったり障害がある子どもでも、養子にして引き受ける親がこれだけいる、というのは、ただ、オランダ人の中に、奇特な心の持ち主がいるからだ、というだけの理由ではないと思う。オランダという国が、肌の色、言葉の違い、障害の有無にかかわらず、どの子どもも、みな同じように発達する権利を認めている国であることが、子どもを育てたいが恵まれないというオランダ人たちに、安心して、よその国の子供を養子にできる環境を与えている。

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 さて、果たして、日本は、いったい外国の肌も言葉も習慣も違う子どもたちをどれだけ安心して養子にできる国か???

 日本人は、自分の国が、本当に、世界の平和に積極的に努力している国だ、と誇れるのかどうか、、、貧困世帯の子どもたちの教育、在留外国人の子どもたちの教育の権利、在日韓国人をいまだに差別し続けるこの国、そして、同和問題。日本人の子どもさえ、いじめ、自殺、不登校と、やむことない不幸のサインが発し続けられ、しかもなお、3人に一人が「孤独を感じている」と答える国。入試競争で落ちこぼれていく子どもたちには、やり直す機会さえない。子どもを抱える親たちは、収入の多くを教育に投資し、しかもなお老後の安心さえ得られない国。

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 外国人にやさしい社会は、自分の国の人々にもやさしい。外国人にやさしくない社会は、実は、その社会の中の人々にとっても息苦しい社会だ。


 

2010/01/22

悲観シナリオは事態をもっと悪化させる~~~70年代オランダのコメディアンが生んだ叡智

 『評論』という言葉を、私は好きになれない。問題を指摘するだけで、解決策のない評論があまりに多いからだ。そして、『評論家』という語には、当事者意識を免れていてもかまわない、というようなエリート意識が匂い立つ。

 日本の今は問題が山積しているという。確かにそうかもしれない。しかし、それでも、日本は、まだまだ経済的な地位は世界で2,3位を争うし、失業率だって欧米に比べてずっと低い。教育程度だって全体としてみればとても高い。UNDPのHDI(Human Development Index)指標は、ずっと高位を保っている。

 悲観的な評論ばかりでは、いつか本当に世の中の活力が一挙に減少してしまうのではないのか。

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 1970年代、第1次石油ショックで経済停滞に直面したオランダ。冷戦大戦の中での核戦争への恐怖、急速な産業開発による環境破壊などの中で、人々が未来に大きな不安を感じていた時代だ。

 当時、若者たちは、山積する問題に押しつぶされそうになりながら、未来への不安という暗さを、ユーモアですり抜けていこうと必死だった。だって、若者たちは、まだまだこの社会をずっと長く生きていかなくてはならなかったのだから、、、

 その頃、時事風刺で大人気となった二人組のコメディアンがいた。ファン・コーテンとデ・ビーと呼ばれたこの二人組は、山積する問題に、悲観的な未来のシナリオを描いて見せる評論家たちを指して、「doemdenker(=悲運思想家)」と呼び、当時の社会に大きな影響を与えた。

 この言葉は、経済学者たちにも頻繁に使われるようになった。
 未来に対する悲観(doem denken)は、社会に不必要により大きな悲観の種をまき、実際に社会や経済を不活性にさせてしまい、輪をかけて問題を深刻化させるというものだ。

―――――

 世に『評論家』と呼ばれる人たち、、、
『評論』する気なら、まず、解決策を探してからモノを言ってほしい。当事者意識のない評論に、世の中の人々は耳を傾けるほど暇ではない。そして、評論などしているひまもないほど、解決につながりそうなことやモノは、世界にいくらでも転がっている。

 人間は馬や牛ではない。人間が、知恵を使う限り、文化は発達し、解決策はどこかに必ず転がっている。

2010/01/15

市民運動から政治参加へ

 民主政権への交替からまだ半年もたっていないが、あちこちで、市民運動がニョキニョキニョキニョキ立ち上がってきた。たぶん、意識のある若者たちは、政権交代までの1,2年、不満が飽和状態に達していて何かせずにはおれない、という気分になっていたのだろう。

 似ている。オランダの70年代にとても似ている。
 あの時代、オランダでは、親子の世代間断絶が問題となり、新しい世代の若者たちが、ありとあらゆる市民運動を起こしていった。そして、それが、瞬く間に政党へと成長していった。

 農民党、高齢者党、民主66党(新聞記者が主導して知識人を集めて作った)、保守キリスト教政党から分かれてできた革新はキリスト教党、ヒッピーたちの平和主義党、そして、緑の党など、、、

 短命に終わった政党もあるし、短期間で政権に入った民主66党などもある。いわゆるエスタブリッシュされた大政党、自由主義、キリスト教保守、労働者といった立場の主流に甘んじていられない人々が個々に声を上げ始め、それが全国的にネットワークとしてつながっていった。

 幸い、こういう動きが、そのまま政権に反映される仕組みがオランダにはあった。選挙制度が完全な比例代表制だったことだ。

 日本の現在の市民運動が政党としての運動を始めるならば、やがて、選挙制度の見直しが議論されることだろう。同時に、これまで、エスタブリッシュ政党の派閥争いをおって世間おろしをしさえしていればジャーナリズムの批判精神を満足させることができた大新聞等の、これまたエスタブリッシュされたマスメディアの政治記者たちは、慌て始めることだろう。それが、マスメディアを覚醒させる動きになれば、と思う。きっとなるにちがいない。

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 やっとこさ、日本が、ポスト・マテリアリズムの時代にこぎつけてきている。やはり、社会の成熟が必要だったのだな、と思う。ヨーロッパでも、心の豊かさを求める前に、生存の安全が守られるだけの経済力が必要だった。そして、平均して高い教育程度があることも条件だった。

 これから多分、労働者の権利としての組合運動の在り方、労働条件をめぐる議論、性意識に関する議論、尊厳死、死刑廃止、外国人差別などの問題が、なお一層、議論の的になっていくに違いない。
 市民運動ではシングルイッシューでも、政党化すれば、社会のさまざまの問題に対する立ち位置を明記せざるを得なくなるからだ。

 多様な価値観を、小政党が体現できるようになれば、これまでのような勝ち組・負け組の構図の中で、お互いにそしり合い独善的に分立する分極化は避けられる。立場は違っていても、分極せずに、話し合いに参加する姿勢が、社会全体のより良い変革をはぐくむ。

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 面白い時代がやってきた。うまくいけば、日本は、後発近代諸国に一つのモデルを示すことができるようになるだろう。絶対に捨てたもんではない。市民運動家は、ある種の楽観があるからこそ、一緒にやってみようじゃあないか、と集まるものだ。日本の市民運動は、定評があるとも聞いたことがある。堅実な草の根の運動はあったのに、その声が、メディアに届いていなかっただけだから、ジャーナリズムが変われば日本はかならず変わるだろう。

 こういう動きをもっと若い人たちとも共有できるといい、と思う。高校生や中学生とも。
 貧困も性も安楽死も、経済不況も労働者の権利も、国内外の差別問題も死刑問題も、10年後20年後に有権者になる子どもたちと一緒に議論せずして、いったいどうやって市民社会の行方を決める地盤を作るというのだろう。