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2010/02/05

世界中の図書館を抱えて生きる時代

 アップル社からiPadの発売が公表された。まるで、昔ヨーロッパで使われた石板を連想させるような薄い電子板だが、なんと、その一枚の板を指で触るだけで得られる情報の多いこと。

 新聞、雑誌などで結構な話題になっている。
 誰もが『世界中の図書館を小脇に抱えて生きる時代』になった、という。iPodの人気からしても、きっとすさまじい勢いで世界中に普及していくことだろう。
 実に、私が学生の頃は、卒論を書くために、夜行列車に乗って地方から東京に出ていき、やれ国会図書館、やれ、教育研究所と足を運んでは、立ち並ぶ初夏の前に呆然としながら分厚い報告書を引っ張り出し、半日かけてコピー、開いてみるまで、どれだけ自分の関心に近い内容なのかもわからない、というような状況だった。
 それが、今や、キーワード検索だけで、あっという間に、引き出したい情報に接近できる。
『知識は魚のようなもの、朝は新鮮だが夕方には腐っている』
という言葉があるが、もはや、知識は、事前に用意しておかなくても、必要な時には電子板一枚で引き出せるものになりつつある。

 電子媒体による情報提供のおかげで、出版界や新聞業界などが泡を食っているのは、日本に限らずこちらも同じだ。それだけに、iPadの発売を前に、出版界も、今後どううまく紙媒体から電子媒体への移行を進めるか、はらはらしながら見守り、後れを取るまいとしているように見える。

 考えてみれば、紙が要らなくなることで、環境保全に役立つというだけではなく、印刷、製紙、運搬などの、本作り・新聞作りに占める、おそらく半分以上のコストが削減されるだろう。しかし、最後まで決してなくならないのは、人間の頭の中の作業だ。書き手の創造力・思考力・構成力・伝達力、それを読み手にうまく伝えるための工夫をする編集者の力、これらは、たとえ、紙媒体が電子媒体になっても、最後まで残るだろう。

 これまで、コスト高の本作りのために、大衆迎合的な内容であっても作り続けなければ経営を賄い切れなかった出版業界は、電子媒体の導入によってスリム化されることだろう。過渡期の痛みは大きいだろうが、いずれ、本質的に質の高い情報が自然淘汰されていく時代が来ると思う。いい時代になる。

 誰もが、それと望めば、世界中の図書館を小脇に抱えて生きる時代。
 知識は、エリートの特権ではなくなった。

 さて、問題は、、、
 英語を使えない、忌避する、日本人のエリートたち。今後ますます世界の知識社会に取り残され、どこから手をつけていいかわからない時代がやってくる。
 
 ほんの数年前、オランダの高等教育について説明している席上で、ある有名大学の教授は
『オランダにはエリート教育ってないんですか、、、、東大みたいな大学、、、ないんですか』
といかにもバカにしたように質問をしてきた。

『エリート候補生は、中等教育で幅広い教養を身につけ、それから大学に進みます』
というのが、私の答えだった。

 エリートとは何か、、、
 少なくとも、(本当はこれまでもそうだったはずだが)知識の量で測れるものではないはずだ。