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2010/01/30

北風と太陽

 日本の子どもの自己肯定感が低いことは有名だ。
 自己肯定感が低いのは子どもだけではないと思う。

 入試競争が教育制度全体に大きな影を落としている日本。入試制度と学歴社会がある限り、どんな小手先の改革をしたって失敗することは目に見えている。

 なぜ、こんなに入試にこだわらなくてはいけないのだろう。なぜ、東大を頂点とした学歴社会が、あたかも、日本の発展の象徴的なメカニズムのように信じ続けられているのだろう。

 日本の大学の質は、全体として、欧州の大学との単位互換をしようにも、水準が不明瞭でできない、ということを、いったい日本ではどれだけの識者が自覚しているだろう。
 欧米の先進諸外国に留学する日本の若者たちが、そこで、言葉だけではなく、どれだけ学術研究のために必要な技能の不足に嘆き苦しむ日々を過ごさねばならないか、ということは、そうして苦労してきた人たちの口からはなかなか伝えられない。

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 入試競争は、自己肯定感よりも、劣等感を多くの子どもたちに植え付ける。
 有名大学に行くだけの学力を達成できなかった、そして、それがために、自身が持っている他のあらゆる能力の発達を顧みられることのなかった子どもたち。この子どもたちは、不当に、いわれのない劣等感を身につけ残りの人生を送ることとなる。

 でも、東大に受からず、有名私立大学に行くことになった学生はどうか。そんな人にさえ、心の底に劣等感の種はまかれたのではないのか。
 官僚たちでさえ、そうだという。東大出でも、一流は財務官僚、文科省の官僚なんて、国家公務員でも3流だから、という声は、これまで何度も聞かされた。

 こんな話、オランダ人にしたら、さぞかし、腹を抱えて笑うことだろう、と思う。

 実に、、いわれなき、そして、無用な劣等感を世の中にまき散らし続けるのが日本の教育だ。

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 そうして、そんな教育が、少なくとも、戦後65年もの間、、<戦後民主教育>という美名のもとで続けられてきたのだ。それなのに、識者たちは、
『どうして日本の子どもには自己肯定感がないのだろう』
としかめっ面で嘆く。

 あきれて、空いた口がふさがらない。

 今日本に生きている大人も子供も、みんなが、そういうパラダイムの中に生きている。

 入試はあって当たり前、世の中は、ピラミッドのように社会が作られていて、天辺に到達するまでは、劣等感が皆無の地位には辿りつかないのだ、と。

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『だめじゃないの、しっかり勉強しなくちゃ』
『OOちゃんをみてごらんなさい』
『しっかり勉強しないとお父さんのようになるわよ』
『お前だめだなあ』
『何やってんだ、そんなとこで』

そう親から言い続けられ、
学校に行けば、

声たかだかと胸を張って、まるでテレビに出てくるスター教師のように
『どうだ、みんな元気かい、頑張るんだぞー』
などとはっぱをかけられる子どもたち。

これでも、子どもたちの孤独と劣等感とが見えないのなら、それは、よほど人としての感情にかけているか、人としての感情を素直に認めて生きることを妨げられているから、としか言いようがない。

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 北風と太陽の寓話は有名だ。

 私たちは、木のように、みんな一人ひとり、自分の成長に必要なものをビルトインされて生きている。それを引き出してくれるのは、北風ではなく、太陽だ。

 あなたが、子どもとかかわる大人なら、どの子どもにも、太陽のような愛情を降り注いでほしい。決して、北風のような冷たいまなざしと言葉ははかないでほしい。

 でなければ、この社会は10年後、20年後、みな、お互いに後ろ向き、協力する気力等一つも持たない、乾き切った枯れ木のような愛情のない人たちばかりの、砂漠のような社会になってしまうだろうから。