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2010/07/28

哀しみの祖国

 有権者が政権を替えた、というあの高揚感からわずか10カ月余り。7月11日の参院選の結果は、あまりにも醜い。

 日本の経済不況と社会不安に対して無策のままに、政治家としての既得権だけを維持しようとしていた自民党に対する有権者の「ノー」が民主党政権の実現を生んだ、と思っていた。民主党の党内の派閥分裂や、対米外交の難しさが、新政権の足枷になっていたとはいえ、まさか、こんなに短期間で、票が自民党に戻っていくとは思ってもいなかった。マニフェスト不履行、カネまみれは、自民党のお家芸だったではないか、、、、

 低い投票率は、政治と政治家に対する有権者のボイコットなのだろう。それは、等の違いにはかかわらないものだ。今ほど、日本の未来、とりわけ、世界の中で日本が立ち上がり、一人前にふるまえるようになるかの瀬戸際の時期に、有権者がほとんど自国の政治に関心を持っていない、持っていても、自国の政治に反映できるという期待がないという事実は、諸外国から見て、先進国日本としては、到底「理解を超える」ものだし、当の日本人にとって、これくらい閉塞感の強いものはないだろう。

 そして、今日のニュースは、就任時には、死刑反対論者として世界的にも注目されていた千葉法相が、あっけなくも、二人の死刑囚の刑執行に立ち会ったという。
 何か裏があるのではないか。しかし、裏があったとしても、彼女には、無死刑制度が加入条件の欧州連合や、その他アジアアフリカラテンアメリカなどに増え続ける死刑廃止など国際的な議論を梃子に使う力と立場があったはずだ。

 昨夏の政権交代以来、「ああ、やっと日本に静かなる革命が到来してきている」と思っていた。やっと、市民が主権を握る成熟社会への突破口ができた、と思っていた。しかし、それが、根拠のない幻想であったことが次第に分かってきた。

 どこから手をつけたものか、、、、

 誰に頼まれたわけでもない。しかし、諸外国を見てしまった私には、課せられている宿題があるような気がして、、、、その宿題を果たさなくては、責任逃れをしているような気がしてならない。