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2010/11/02

ラオの後日談

カンダヤおばさんからスカイプで電話が入った。
今から約30年前、マレーシアで世話になった下宿の大家さんだったインド人のおばさんだ。
(拙著『地球を渡る風の音』でも紹介)

10年ほど前にご主人を亡くされ、二人の息子はオーストラリアに移住してしまったが、70を越えた今も一人でマレーシアで暮らしている。30年前、マレー人を優先して中国人やインド人に対する待遇が厳しかったマレーシアで、インドから輸入した食料品を売る小さな街かどの雑貨店を営みながら、二人の息子をイギリスに留学させた。

その雑貨店にラジャというインド人の奉公人がいた。当時24歳ぐらいだったと思う。クアラルンプールのゲットーに住む貧しいインド人労働者の息子だった。早朝から夜遅くまで、雑貨店の雑用を手伝いながら、カンダヤ夫妻と寝食を共にし、家族同様の暮らしをしていた。小さい頃からいろいろな仕事を転々とし15歳くらいの頃にカンダヤ夫妻の店にやってきたという。カンダヤおばさんはそういうラジャに店番をしながら英語会話を教え、毎月の給料のほかに貯金を積み立て、数年後にラジャが自立した時にはその貯金を持たせてやった。

私が彼女の家に下宿をしていた頃、一人の痩せっぽちのインド人の少年がやはり雑貨店の手伝いをしにやってきた。ラオというその少年は、話に聞くと13才だったそうだが、痩せた体つきといい、無言の表情といい、どう見ても7歳くらいにしか見えない。貧しいゴム園労働者の子どもだったそうで、祖母との暮らしでは十分な栄養も与えられず、学校にも通えなかったものらしい。

ラオは、ラジャやカンダヤおばさんに見守られながら、雑貨店の雑用をしていたが、そんな体つきではほとんど仕事らしい仕事になっているようにも見えなかった。きっと、人づてに頼まれてカンダヤ夫妻が引き受けることになったのだろう。

そういうラオが、ある日突然姿を消した。カンダヤ夫妻とラジャとは騒然となり、いつもの日課を棚上げにして近所を探し回った。どうしても見つからないから、と夕刻には警察に捜査願いを届けることになった。そして翌日、ほっと安堵と幾分かの疲れを表情を顔に浮かべたカンダヤおばさんは、ラオがゴム園の祖母のところにひとりで帰っていたことが分かった、と教えてくれた。

「いったいあんな小さな、言葉もろくにしゃべらない子が、バスに乗って遠いゴム園までどうやって帰ったのだろう」というのが、その晩のカンダヤ夫妻やラジャたちの話題だった。

どうやら、雑貨店で働きながら、客が支払う小銭の一部をほんの少しずつ貯めていたものらしい。そうしてバス代がたまったところで、バスに乗って帰ってしまったのだ、、、

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私は、このラオという少年のことが忘れられなかった。同じような境遇からやってきて、英語を覚え、家族のように扱われ、やがて工場のメンテナンス職員として独立していったラジャとの対照があまりにも大きかったからだ。ほんの小さな判断の違いが、人生をこうも変えてしまう、ということに、なんとも言えない気持だった。だから、私はこの二人の少年のことをわざわざ『地球を渡る風の音』のエピソードとして紹介していたのだった。

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スカイプの発信音を鳴らして、突然電話をかけてきてくれたカンダヤおばさんが、ラジャやラジャの家族の近況などを話してくれるのを聞きながら、ふと思い出して、
「ねえ、ところで、覚えてる? 私がいた頃、ラオという少年がやってきたでしょ、後で突然いなくなってしまった、、、、、あの子その後どうなったのかしらね」
と尋ねてみた。

するとカンダヤおばさんは
「ああ、ナオコ、ラオを覚えていたの?よく覚えていたわね、、、。ラオはね、あれから何年かしてうちを訪ねてきたんだよ。突然うちの玄関をノックしてね、、、『おばちゃん、おばちゃんが正しかったよ、ぼくはあの時帰ってしまうべきじゃなかった、ってあとでよくわかったんだ』って、そういってきてね」

ええーっ、と思わず私は驚きの声を上げずにおれなかった、、、

ラオはその後成長してトラックの運転手になったのだそうだ。
カンダヤおばさんによれば
『ラオはちゃんと仕事をしているよ、、、3人の子どもたちもちゃんと学校に行っているよ、上の子は大学に行ったんだけど交通事故に会ってね、、不運なんだねラオは。でも、ラオよりも利口でしっかり者の奥さんがいるから大丈夫、、、』

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そういうカンダヤおばさんは、子どもたちが移住してひとり立ちした後は、雑貨店を閉めて、夫の年金と、自宅に置いている下宿人からの収入で生計を立ててきた。週に一度はヒンズー教の寺院に参り、週のうち2,3日は、大学病院のホスピスで末期がんの患者の話し相手になるというボランティアを続けている。毎年一度は子どもたちがオーストラリアに招いてくれ、必ず年に一度祖国インドに帰ってヒンズー教の寺院に参り、1,2週間孤児院の手伝いをして帰ってくる。

判を押したように規則正しい、無駄やぜいたくのない暮らしぶりは、きっとあの頃のままであるのに違いない。

そういう彼女の、決しておしつけがましくはないのに、自分自身を律した生き方が、周りの人々の心に何かを芽生えさせる。ラオのような少年の心まで、、、