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2009/01/09

愛国という非道

 新年早々イスラエルのガザ攻撃が激しい。人権の尊重を謳う国連などの対応が遅いのも気になる。
  
 「愛国心」とは、「国を愛する」とは、どうも、その国に住む「同胞」を愛することとは正反対のものらしい。

「そんなこと当たり前じゃあないか、何をいまさら」と言われそうなのが余計に気になる。人間につきものの、自分の生きる場を確保しようとすることからくる醜さを、「当たり前」の取るに足らない議論として受け流し片付けてしまえば、もう尊厳をもって生きる道はあきらめたも同じだ。その「当たり前」の醜さが、大きな、人類そのものを破壊するような事態に発展しないために、私たちは、いつも目を光らせていなくてはならないもののようだ。それが、「民主主義」の核心だと思う。

東欧諸国が凍え震える中、ガス栓をひねって閉めてしまったロシアという国の非道もいやらしい。

ヨーロッパにおいて18世紀末から19世紀にかけて起こった「ナショナリズム」は、そろそろ終焉を迎えつつある。世界でもまた、国境や民族を単位としてモノを考えることから、そろそろ脱皮していく時期なのではないのか。我々の住処である地球そのものが危機を迎えているというのに、、、

日本という「島国」にはいろいろな意味でハンディキャップが大きい。最も深刻なのは「島国根性」と重なった狭隘な「愛国心」だ。

政治の低迷と社会の混乱の中、日本の変革は、多くの人々のエネルギーを包み込む、相当に大きなものでなくては、望めないのではないか、と思う。