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2009/01/08

ソリダリティ・団結と成熟社会

 8日、経団連の御手洗富士夫会長が、ワークシェアリングの可能性について、労使間の話し合いを進めたいとの意向を示したという。これに対して、同じ8日に、早くも、NHKのニュースでは、日本商工会議所の岡村会頭が、「ワークシェアリングには時間がかかる」と述べ、金融危機下の企業側の都合から、ほとんど後ろ向きともいえる見解を示していることが伝えられた。
 そもそも「ワークシェアリング」は究極の不況にあえいでいたオランダが、なんとか立ち上がるために生み出したものだ。企業も雇用者も、どちらも、閉塞感に満ち満ちていた。だからこそ、お互いの苦しみを分かち合って、対外的な競争力をつけるために、ワークシェアリングが起こったのだ。
 それはまた、人々の「生きがい」、人々の「幸福観」についての意識の大変換でもあった。生きがいは、「働くこと」だけでなくてよい。「幸福」は、たとえささやかでも、家族が共に過ごす時間が増えれば広がる。そして、自分なりに選びとって労働と生活のバランスを見出すことがその背景にあった。

 「ワークシェアリング」の理論は、だから、単に雇用形態、経営者の雇用スタイルと労働者の労働スタイルというような狭い技術論ではない。日本人が、これから、どういう価値観で生きていくか、という問題なのだ。

 そういう議論を積み上げていくには、もっともっと議論の時間をかけていくべきだと思う。
 経団連の会長がこう行ったから、商工会議所の会頭がこういったから、「企業の立場はこれしかない」という十羽ひとからげ、自分の頭を使わないで右へならえをするような議論は、もうやめた方がいい。そういう態度こそが、どれだけ、彼らの好きな「市場原理」を、健全に動かしていくための障害になっているかを考えてみた方がいい。

 企業家らは、労働者の、あるいは、労働を求めている若い世代、未来の日本社会の担い手の声をしっているはずではないか。持てる者の利益を守るためなどという小さな野心で右へ倣えをするのではなく、自分の会社の現場から変えていってほしい。そうして、そういう個別の現場の実践を、広く世論としての議論につないでいってほしい。日本企業の伝統的な良さは、元来、それぞれの会社の雇用者と被雇用者が、痛みを分かち合い理解し合うことであった。そういう、個別の、けれども、具体的な場所でのひとつひとつの「団結」が、社会全体の制度の在り方、日本に限らず、どんな人間の社会にも共通の「共生」という原理につながっていくのだと思う。そして、政治は、「公」としての立場を自覚して、偏向のない、仲介者としての、また、起業家と労働者とが、同じ、日本社会を支える住民として忌憚なく話し合える場をつくっていくように、ファシリテーターの役割を担うべきものだろう。メディアには、今こそ、そういう方向を明確に意識した、ニュースづくり、報道の仕方を工夫してほしい。

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 たとえば、社会の成熟度、市民意識の高さのようなものを、1本の物差しの上に並べてみるとすれば、それは、その社会の「団結」の固さとして目盛りをつけていくことができるのではないか、と思う。

 私はかつて、灌漑で飢え死にしそうな遊牧民に、外国からの援助金で灌漑用水路を造り、綿や砂糖などの換金作物を作らせて、それでも失敗、挙句の果てに、苗木や種などの資本を買うために「クレジット」として貸借させた金の返済を痩せ細る農民に迫るアフリカの一国の政治指導を見た。また、アンデスの山中では、金鉱山をほとんど私有化し、金の精錬のために、自国の人々が住む土地を水銀汚染して知らん顔をしている政治家も見てきた。

 けれども、最近の日本に見られる、労働者たちの過労死、うつ病、長時間労働、そして、将来に希望の見えない子どもや若者たちの、自殺、引きこもり、不登校、ニートやフリーターの増加などは、いったい何なのか。この国の指導者たちは、ほとんど、アフリカやアンデスの国々の、自分の利益しか考えないエリートたちと同じではないか。

 オランダで「ワークシェアリング」が実現できたのは、繰り返しの話し合い、この国は、一致団結しなければ、周囲の国々と対等な競争力を持って生存できない、という意識の共有があった。そういう話し合いのプロセスと、「自分たちの力で、自分たちなりの解決法を何とか生み出していくのだ」という気概の共有が、社会を成熟したものにしていった。

 先に行ったような、社会の成熟度を測る物差しがあるとすれば、企業家らが人々、特に若者や高齢の労働者など、弱者の痛みを「人間として」感じ取ることができない日本という国は、アフリカやアンデスにある、世界で最も貧しい国のように、物差しの最も尺度の低い位置にある。

 たちが悪いは、日本は、世界でも第2の経済大国であることだ。
 金があるのに、「幸福」を実現できない国。いったい、世界の誰が、本気で日本を相手にしてくれることだろう?

 「和」の国って、一体何のことだったのだろう?