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2009/08/23

市民社会発展の要件

 かつて西側と呼ばれた欧米先進諸国は、1970年代に大きな文化変容を経験した。
 この時代の人々の価値意識の変容、それに伴ってその後に続いた社会制度の変容との連関を、大量のデータを駆使し、長期にわたって観察を続けているのは、アメリカ人社会学者ロナルド・イングルハートとその仲間たちだ。

 イングルハートは、1990年に出した「文化シフト」という本の中で、市民社会発展は、経済的な豊かさだけでは不可能である、ということを言っている。経済的豊かさは、市民社会発展の条件の一つだが、それだけでは十分ではない、と。それに加えて必要なのは、人々の価値意識の変化であり、その変化とは、脱物質主義的(ポスト・マテリアティズム)な価値観への変容であると言っている。

 脱物質主義的価値観とは、私流の言い方をすれば、排他的な競争主義を批判して、寛容な共生を求める意識である。エクスクルージョンからインクルージョンの意識、と言ってもいいかもしれない。
 実際、1970年代の(西側)ヨーロッパ先進諸国やアメリカでは、反戦運動とともに、女性解放運動、同性愛者の権利保護、障害者福祉制度の充実、個性や尊厳の重視といった議論が進んだ。
 オランダのように、保守的なキリスト教主義的価値観が強かった国ですら、70年代には、極端ともいえる勢いで教会離れが進み、旧態依然のモラルやタブーを一度突き放してみて見直すという議論が繰り返された。それは、キリスト教主義の価値観を頭ごなしに否定するということではなく、それを絶対不滅のものとしてではなく、相対的に自分の頭を使って考え直してみるという行為だった。

 そういう文化シフトは、かつて植民地支配によって富に潤っていたにもかかわらず、戦争を体験することで、富を失い、植民地を失って、ひたすら戦後復興に取り組んだ親の世代と、これに対して、急速に復興していく戦後社会の中で、経済的な豊かさと広く庶民にまで行き渡るようになった教育機会の中で育てられた若い世代との間の、世代間の価値意識の違い、「世代間断絶」と言われた価値観の対立の中から生まれてきた。
 復興を求める親の世代が「物質主義」にとらわれたままであったのに対し、未来を見つめる若者たちは「脱物質主義」に向かっていく価値観変容の嵐の中にいた。

 イングルハートは、豊かな経済に支えられた中で、こういう脱物質主義が、社会の中の主要な部分を占めることで、市民社会が徐々に形を整えていく、という。そして、この70年代の若者たちの価値観が、社会の中で、ドミナント(多数派)を占めるようになるには、世代交代のための、2,30年という時間を必要とするという。

 市民社会は、社会の個々の成員の個別の意思が自由に解放され、また、お互いにその自由を認め合うことで成り立つものだ。そういう意味で、同じキリスト教の伝統を持つ社会と言っても、個々の信者の聖書解釈を尊重するプロテスタントの社会の方が、市民社会的な価値観に近く、そのための制度もより整っている。北欧諸国やオランダなどは、そういう意味で、市民社会的な価値意識が、制度の中により広く反映している国であると言っていいと思う。そのことは、主観的幸福度や自尊感情の調査などに顕著に反映している。(ヨーロッパにおけるプロテスタント社会とカトリック社会の厳然たる違いについては、別の折にまた触れてみたい)

 現に、1970年代から、ほぼ40年の歳月を経た現在、オランダ社会に住んでいる人々の価値観は、物質主義から脱物質主義へとほぼ完全に移行した。政治家、官僚、企業の管理職者など、社会的エリートと言われる人々ですら、ほとんどが、この70年代の脱物質主義議論の洗礼を受けている。だから、たとえ、キリスト教保守主義やリベラル派の立場にあるエリートたちであっても、脱物質主義的な議論をすりぬけて、一方的に伝統的なモラルや資本主義的な価値意識と言った立場を主張することは、もはやできない。価値観の異なる他者との共生、自然(環境)との共生は、この社会の大多数の人々に受け入れられた議論の余地のない前提になっている。

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 イングルハートの「文化シフト」の中では、日本のデータが大変重要な位置を占めており、西側先進諸国の70年代における日本社会の明らかな特殊性が指摘されている。

 日本でも、戦後復興期を経た後、若者や知識人による、脱物質主義的な議論はあった。けれども、世界が冷戦体制になだれ込み、中国の共産化と朝鮮半島の分断、ベトナム戦争の激化などの中で、日本は、アメリカ合衆国にとってなくてはならぬ西側の拠点とされた。戦後間もなく「民主化」を求めて言論のリーダーとなった人々のうち少なくない数の人々が、変節し転向していった。
 その時代の世界の雰囲気とそこからもたらされた外圧、日本の置かれていた地理的な位置などが、戦後「民主化」政策を捻じ曲げ、機会均等を求める社会主義的な市民運動を意図的に抑圧するものとなったことは周知のことだ。
 しかし、本当にそれだけだったのか、本当に、外圧だけが日本の民主化を妨げてきたのか。それ以上に、そういう捻じ曲げを受け入れてしまう日本人自身の、一種の「未熟さ」があったからではないのか、この問いに対する納得のいく答えを、私自身、長く求めてきた。

 イングルハートの「文化シフト」は、この問いかけに、データを持って一つの答えを示してくれている。

 18世紀の啓蒙主義を経て19世紀初頭にまがりなりにも近代国家制度を打ち立て、産業革命を経て競争主義の、しかし、物質的な豊かな社会を築いた欧米先進諸国では、価値観として、すでに、「個人の自由」は存在していた。西洋の人々は、すでに長い間、近代主義がもたらした個人主義を経験していた。そして、個々の人々の価値観が問われ、お互いの価値観に干渉しない個人主義をみとめる価値意識は、個々人の精神をどこまでも孤独にするものでもあった。ナチズムの熱狂は、エーリッヒ・フロムが言う通り、孤独な魂に耐えきれなくなった近代人たちの「自由からの逃走」であったことは、多くの人々が同意することだ、と私は思う。

 ドイツに起こったナチズムと、それに協力し、それに共感した周辺諸国の人々にとって、戦後の価値意識の変化には、差別に対する決別があった。そして同時に、「ではどうしたら自分とは異なる他者と共生できるのか」という課題は、大変深刻なものであった。共生とは、自然に放っておいても起こるものではなく、自分から働きかけ、意図して努力しなければならないもの、という意識は、当時、市民運動を強く勧めていた若者や知識人たちに共有されていた意識であったらしい。

 けれども、同じ時代の日本で、多くの人々は、西側連合軍に「負けた」という劣等感と、戦時中、だれからも自由意思を認められることがなかったという「近代化に対する遅れ」の自覚の中で、やっとのことで先進国並みの「経済的な豊かさ」が実現しているのだ、という満足感が圧倒的であったのではないか。そして、そうであった日本人をいったい誰が批判できよう。
 あの時、近代化がもたらす個人の孤独を実体験として感じている人がいったいどれほどいたことだろう。孤独を越えて『共生』の中につながっていきたい、という希求など、いったいどれほどの人に期待することができたことだろう。日本人は、伝統という名に支えられた集団的な同調に足をからめとられたまま、そこから逃れることに必死だった。自分自身でありたい、まず、自分の意思を認めてくれる社会がほしい、と。それは、私自身の心の軌跡からも自覚できるし共感できるものだ。

 集団への同調を強要してくる日本の伝統の中で、60年代70年代の、やっと近代化に目覚めていた多くの日本人の意識は、個人化、プライバシーへの希求に強く傾いていた、そのために、脱物質主義の中で、欧米社会の若者たちが求めていた、むしろ「孤独」を乗り越えてお互いにつながり合おう、社会に参加し関与しようという、新しい形での共生への意識につながっていかなかったという点で、欧米の文化シフトとはくっきりと性格を異にするものであったことをイングルハートはデータを持って示している。

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 2000年ごろ、世界は、一斉にグロバリゼーションの時代を迎えた。欧米社会に文化シフトが起こっていながら、富をむさぼる人間の傲慢と欲望は今も変わらない。
 そして、一昨年、また、昨年と重なる金融危機は、人間の強欲が、人類社会自身に牙を向けはじめていることを自覚させられる事態にほかならなかった。

 そんな中で、欧米社会は再び『共生』的な価値意識と制度を求めて動き始めている。地球規模での人類の平等と共生を実現しなければ、地球社会そのものが存続できないことに気付き始めている。

 日本は、と言えば、、、

 私は、市民社会を実現するための要件が、今こそやっとそろい始めているのではないか、と感じている。グロバリゼーションがもたらした貧富の差、飽和値を超えてしまった人々の閉塞感は、もう、この先には市民社会を実現するしかないではないか、という気分を日本の中に広くもたらしたように思う。
 バブルがはじける前の、豊かな経済的な発展を、今の日本人は知っている。同時に、バブルがはじけ、グロバリゼーションの激しい競争にもまれたことで、人間の幸福が、物質だけから得られるものではないことに多くの人々が気付き始めている。

 1970年代の、西洋先進主義の若者たちの意識を共有できる人々が日本にも絶対数として増えてきているのではないか。急激な高度成長の中で、不幸な不登校や引きこもりを生んだ日本は、そういう社会が、個人の魂を限りなく孤独にするものであることも体験してきた。
 「こんな競争社会、もうたくさんだ」という声にならない声が聞こえる。

 やっと、日本が市民社会として成熟できる条件がそろってきたのではないか。

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 ただ、問題は、 少なくとも二つある。

 一つは、この国の戦後教育が、「考えないで追従するだけ」こそが「よい子」である、として子どもを育ててきたことだ。「考えない」よい子と、そんな学校に「適応できない」、それがために「自身も自尊感情も持てない」落ちこぼれの子、そして、そうして育てられて大人になってしまった人があまりにも多い。

 70年代のヨーロッパには、元気のいい若者がいた。しかし、せっかく成熟社会の入り口に立っている日本には、あのように元気のいい若者があまり見当たらない。言あげをすることを嫌う大人社会はいまだに根強い。

 元気がよくて、自分の頭で考え、社会に参加する意思を持つ若者を育てるのには、まだこれから確実に20年も30年もの歳月がかかる。今すぐに始めたとしてもだ。すでに大人になっている人、企業組織の中にいる人々、漫然とテレビの娯楽番組にかじりつく人々にももっと働きかけていった方がいい。

 もう一つの問題は、日本を先進国並みに押し上げた経済発展を支えた労働倫理だ。残業してこそ、一生懸命働いてこそ今の日本の発展があるという人々は、まだ、企業家の中に多い。確かに、そういう労働倫理が、高い品質の産物を生み、日本産の製品の名を高め、一見「効率の良い」組織づくりを外国にアピールしてきた。そこには、確かに短期に日本を豊かにした利点があったと思う。しかし、どんなシステムにも必ず短所があるように、こういうシステムこそが、多くの日本人の幸福を奪ってきた。このシステムの持つ問題を、冷めた目で見つめながら、どうやって改善努力をしていくか、、、、。70年代の日本の経済高成長は、欧米企業家らから称賛を浴びるものであっただけに、影の問題を認めたくない、という人は多いはずだ。これも、市民社会の成熟のために必要な制度改革にとって、非常に厄介な障害になるだろう、と感じる。

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 けれども、今日本社会が置かれている状況を、地球規模で見た時、、、

 西洋とは異なる、不自然に急速で、伝統の租借からではなく外から処方箋を取り入れながら近代化を果たしてきた日本が、今、どうやって日本人一人一人の幸福を保障する市民社会を実現できるか。それは、中国やインドなど、同じように、古い社会倫理を引きずりながら経済急成長をしている国々で、やがて必ず起こる問題だと思う。日本が、今、自力でこの問題を乗り越え、成熟した市民社会を実現することができたなら、それは、こういう国々に対して一つのモデルを示すことになるだろう。

 やがて、地球規模で、異文化間のすべての人の平等と幸福観が保障され、自然との共生が実現されることが究極の目的であるのなら、日本社会の現在の努力は、そういう地球のあり方に大きく貢献するものになると思う。今、という時代の世界の風は、そっちの方に吹き始めている。