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2009/08/30

日本人よ、もっと率直に臨機応変に忌憚なく

時代を画する衆院選をNHKワールドを見ながらリアルタイムで追ってみた。
解説者にもっと数人の立場の異なる人を迎え、下書きなしで率直な話をしてもらいたかった。政治解説者が、その場でアンカーの質問に答えるのではなく、いちいち英語の下書きを用意して読み上げる姿には、落胆した。

政治専門家の登場はありがたい。しかし、「一般の熟練ジャーナリストの中に、英語で議論できる人はいないのか。日本ほどの国に」という感想はきっと諸外国の視聴者にとって避けがたいものであったろうと思う。外国のプレスの特派員でもよかったはずだ。複数の立場の人間を集め、その場で議論することはできたはずだ。

世界に向けられる公営放送が行う、歴史に刻まれる衆院選の報道にしては、お粗末だった、との印象は否めない。

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衛星放送のおかげで世界各国の衛星放送を受信できるようになった。
中国の英語放送に登場する発言者たちには、目を見張るほどの自然さ、率直さ、そして、考えを言葉にしてまとめて伝える巧みさがある。英語を手繰れるエリートたちが、決して、英語が流暢と言うだけではない、高い質の教養を身につけているのが分かる。

ある意味で、開発途上国の国々のエリートたちは、英語ができるし、専門的な知識の豊富な人が多い。その層は、日本のエリートには見られないくらいに厚い。植民地支配の伝統があるからでもある。

しかし、長く共産主義国として国を閉ざし、思想統制してきた中国に、今、これほど多くの自由な発言ができ、その場で、臨機応変に誰とでも議論ができるエリートたちがいるのだ。日本とは比べ物にならない。言葉の問題であるとともに、創造的な思考力の熟練度の違いに見える。忌憚ない発言をマスメディアという媒体を通じて自由にできること、その程度は、今、共産国の中国の方が、自由主義国であるはずの日本の何十倍も大きい。中国という国の懐の深さ、したたかさに驚く。

衆院選が終わり、日本はこれから、ようやく市民がそれぞれ自分自身の意見を言葉にし、参加していく時代を迎えようとしている。

テレビも新聞も、型にはまった、すべてを事前に統制した報道をするのではなく、人々の臨機応変のステレオタイプではない声を率直に出していくべきではないか。型どおりの公式表明や、ほとんど「やらせ」にみえる登場人物のあからさまな印象操作、世論(視聴率)の期待に応えるだけのお定まりの発言などはもうたくさんだ。いったい、どこのだれを恐れて、報道内容を統制するのだろう、、、、自由社会にあるまじきことだ。

専門性よりも人気を優先した、少数のカリスマに頼ったメディア操作ではなく、幅広く、厚い層のエリートに支えられた、世論をひきつけ、建設的で懐の深い討論・議論の姿を、国内でも、また世界に向けても積極的に見せていってほしい。「多数派」が何なのかを気にしなければ、目立たないところに言語にも教養にも専門性にも優れた人たちがたくさんいるはずだ。そういう、今は名のない、しかし、地に足のついた人々の声、黒子として社会を内側から変えようとしている人々の声をもっと大きくして、報道の波に乗せていってほしい。

日本の報道は、もっと肩の力を抜くべきだ。それが、やがては、視聴者の教養と思考力に厚みを持たせる。