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2009/02/04

世界は多元社会へと

 幸い、オバマ大統領が登場してきたことで、世界は、アメリカによる大国主義から、どうやら「多元社会」の構図へと変わってきているようだ。
 とはいえ、オバマの大統領就任演説では、「世界のリーダーとしてのアメリカ」という言葉も出てきていたことだし、たとえ、それが、アメリカ市民を鼓舞するためのもの、民主主義の理想を前提としたものであったとしても、警戒はしておかなくてはならない。なにしろ、金融危機で、どこも、国内の社会不安をどう沈静するかで大騒ぎ、みんなが内向きになっている時代だ。

 米国の景気対策手段として打ち出された「バイアメリカン条項」は、早速、ヨーロッパ連合から顰蹙を買い、オバマ大統領も見直しを提言した。こんな時代に、アメリカ製品だけ買えと言って喜ぶ外交相手がいるはずがない。 

 米国の内政干渉はよく知られている。軍事保護や経済取引をもとに「友好国」を作っても、結局は、最終的な利益は米国に戻っていくようになっている。アメリカ合衆国の「裏庭」といわれる中米諸国や南米の国々に暮らして、その土地にアメリカの、カッコつきの「開発協力」というものが、どんなに表向きには親交の「握手」に見えて、実は、ドルの札束で相手の頬を叩くようなものであるか、ということは、同じ開発協力の仕事をしていた夫と共にうんざりするほど目のあたりにしてきた(アメリカの開発協力局のシンボルは、白人と有色人種が手を出して握手をしているもの)。

 米国の友好国として言いなりにさせられてきた国といえば、日本もしかり、だ。日本は、戦後、共産化する中国と分断される朝鮮半島を前に、アメリカにとっては、格好の軍事基地であり「友好国」だった。逆に、それは、日本にとっては、アメリカという大国を前に、同盟連携して、対抗する、同等な隣国のない、孤独で、危ない、バランスを失ったアメリカへの依存だったのだと思う。たとえそれが、どんなに大きな経済発展を生んだとしても、今、まわってきているツケはあまりにも大きい。なぜもっと、アメリカの圧力に抵抗し、自身のアサーティブさをもって対するだけの交渉術を持っていなかったのだろう、と悔やまれる。

 その点、同じ西側とはいえども、ヨーロッパの歩んだ道は少し違う。

 ヨーロッパでは、大国といえども、日本ほど人口や国土の大きな国はない。そういう国が、一つ一つばらばらにアメリカ合衆国を相手に交渉していたら、おそらく今のヨーロッパはなかったことだろう。「石炭鉄鋼共同体」から「経済共同体」へ、そして、「ヨーロッパ連合」へと複数の国々が連帯を強め、一体となって対米交渉に当たることのできる基盤が積み上げ作られてきた。それが、今回の「バイアメリカン条項」に対する反発にも象徴されていると思う。

 ヨーロッパ連合の理念は、大国を作らず、すべての参加国を平等に認め、それぞれの文化様式と各国の政治決定とを尊重した、まさしく「多元主義」にある。この、ヨーロッパ民主主義の「理想」とも言える多元主義をもってして、ヨーロッパのリーダーたちは「大国主義」に陥りがちなアメリカにノーと言った。ヨーロッパ連合は、いまや、大国アメリカを動かす影響力を持つまでになっているということだ。幸い、オバマは、国境を越え、文化や宗教の差を超えて、ヨーロッパの理念と同じ、多元主義に基づく世界を築くことに理想を抱いている。そういう彼を大統領に選んだというのは、アメリカ人も、新時代に向けて、傲慢な大国主義から、協調的な多元主義へと姿勢を変えたいと思っているということだろう。

 そういう世界をさらに飛躍させることができるのだとしたら、それは、まさに、今を置いてないという気がする。金融危機の波紋が広がり、世界中で社会不安が蔓延してからでは遅い。

 だが、最近のニュースを見ていると、少なくとも二つの地域が、そういう世界の動きに鈍感なまま、逆行を続けているように思えてならない。

 一つは、ナチスのホロコーストを否定したイギリス人司教ロチャード・ウィリアムソンら、反動的なカトリック聖職者たちの破門を解除したローマ法王がいるバチカン市国とカトリック教会。
 もう一つは、子どもたちを競争教育で煽り続ける展望なき政治家と、世界観とコミュニケーション能力のないエリートたち、そして暴力団という名のテロリストたちを、こんな時代にいまだにぬくぬくと温存させている日本という国だ。