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2009/03/12

食を分かつという文化

 しばらく前、日本では「食育」という言葉が流行っていた。最近あまり聞かなくなったところを見ると、あのころ盛んに問題とされていた事態は、もう姿を消して解決済みなのだろうか。

 あの当時「食育」という言葉を耳にするたびに、何か不快な気がしていた。
 「食育」という語には、「食」を愉しむとか、「食」を分かつというような、「食文化」が持つ豊かさがそぎ落とされて、ただ、子どもによい食事を与えて育てること、というような、しかめっ面の「しつけ」のような無味乾燥さをどうしても感じずにおれなかった。頭に浮かぶのは、母親が、子供によいといわれる出来合いの栄養価の高い不純物の少ない食品を集めてきて、スプーンに乗せ、無理やりに、子どもの口を開かせて押し込んでいるようなイメージを持っていたのは私だけだろうか。

 食は、人が集まり、分かち合って食べる時、楽しくすすむものだ。そういう意味で、食べるという行為は、コミュニケーションであり、社会性の高い行為だと思う。食べている者同士だけではなく、作って供する側と、戴く側の間のコミュニケーションでもあろう。

 マレーシアの貧村に暮らした30年足らず前。貧困とはいえ、熱帯雨林の気候に恵まれたその村には、食べるものには事欠かなかった。ヤシの実やドリアンは落ち、村を歩けば、バナナやパイナップル、ジャックフルーツが実る林があった。毎日の食事は、共同の皿を真ん中にして、丸く周りに座り、右手でそれぞれが自分の皿にごちそうを取り分けて、手で混ぜて口に運んだ。
 社会調査をしていたので、300軒余りの村の家を、よく巡回して訪ねた。顔なじみになると、「お昼ご飯を食べていけよ」と誘ってくれる村人も多かった。白いご飯に、ココナツミルクと香辛料の入った肉汁だけをスプーンで振りかけ、手で混ぜて食べるだけの簡単な昼食でも、ふるまってくれる人の心が暖かだった。食べていくことで、村の人には、もう一つ心を開いてもらえたような気がした。
 時折帰るクアラルンプールの下宿では、食事は自分で賄わなくてはならなかったが、偶に、大家のカンダヤおばさんが、朝から石臼で挽いた香辛料を入れて作った特製のカレーを家族と一緒に食べようとふるまってくれることがあった。熱帯の昼は暑く、雑貨店を閉めて2時間の昼休みに帰ってくる大家一家とともに、汗を流しながらピリピリと辛みの利いたカレーに舌鼓を打った。
 カンダヤ夫妻の菜食主義の話、その理由などを、つれづれの会話に聞いたのはそんな時だ。

 近代化し都市化した日本の都会。家族で食べることはほとんどなく「孤食」の時代になったという。
 近代化が進んだヨーロッパも、きっとそうだろう、と思う日本人は少なくないのかもしれない。しかし、ヨーロッパ人は、家庭での食文化、食を分かつ文化を今も大切にしている。

 オランダ人の食事はフランスや日本に比べると甚だみすぼらしい。お世辞にも美味しいといえるものは多くない。肉と馬鈴薯と野菜一品、サラダがつけばいい方。朝と昼は、ハムかチーズを挟んだ黒パンとフルーツ一個にミルク、と簡単。プロテスタントの禁欲主義がそういう食文化を生んできたのかもしれない。しかし、その反面、一日に一回の、火を入れた温かい夕食は、たいていの家庭で、一家揃っていただくものだ。
 テーブルに、テーブルかけをかけ、大皿の両脇には必ずナイフとフォークを正しくおく。週末ならば、ワイングラスを置く家庭も少なくないだろう。テーブルに家族全員がつくまで、食事は始まらない。夕食時には、キャンドルを置いて音楽はかけても、テレビのスイッチは切り、新聞などを食卓には持ってこないものだ。
 親は、子どもたちのいる前で、その日の出来事を伝えあう。子どもたちは、学校での出来事を話す。
 ものを口に含んでいる時には、人の話に耳を傾け、合間をとらえて、自分が口火を切る。リズムのある会話が、食事とともに進んでいく。

 こういうテーブルを囲んだ社会的な交わりは、何もオランダだけのことではない。
 フランスでもそうだ。オランダに比べて御馳走に主婦が手塩をかけるフランスでは、満面に笑みをたたえて御馳走をキッチンから食堂へと運んでくる主婦の姿がたくましい。プロテスタントのオランダに比べ、カトリックの国は子どもの数が多い。いきおい、家族の規模は大きくなり、夏の休暇で帰ってくる子ども一家を迎える老夫婦など、娘の協力を得て、庭の長テーブルに、大盛りの皿を並べている。夏の夕方、野良仕事を終えて集まる農家の夕食は、バルコニーに据えたテーブルだ。ワイワイと楽しそうに語る声が各家々の庭でさざめき、そばを誰かが通りかかれば、顔見知りだろうがそうでなかろうが「ボナペティ」と声をかけ、「メルシー」と一同が返事をしてくる。

 日本にも昔はゆっくりと食を楽しむ時間があった。家庭では一家そろって夕食を食べていた。今のように、デパートの地下街やスーパーに溢れるほどの食材はなかったが、主婦は、毎日の食事ぐらい慣れた手つきであっという間に作っていたはずだ。

 しかし、数年前に聞いたある中学の先生の話では、「家で毎日夕食を家族で食べている人?」と聞いたら、クラスにたった一人だったのだそうだ。おまけに、手を挙げたその子に対して、他の子が「ウザイ」といったという。「ウザイ」と言っている子どもが、愉しい食卓を知らないらしいことが悲しい。それとも、負け惜しみなのだろうか、、、

 日本から若い人が来て驚いたこともある。
 一緒に昼食に行っても、みんなで注文したものが揃っていようがいまいが、さっさと一人で食べ始める。食べている時に一言も口を利かない。周りで何が起こっているか目に入っている気配さえない。ものを口に含んだまま話をする大人にも閉口する。日本だって、「食べながら話をするな」くらいのことは昔はみんな知っていたような気がするのだけど。

 みんながみんなそうであるとは思わない。少数派であるのなら、安心だ。しかし、黙々とエサを掻き込んでいるような何人かの若者の姿に、貧しさと寂しさを感じずにおれなかった。むろん「いただきます」も「おごちそうさま」もなかった。
 朝は通勤途中の喫茶店で、昼食や夕食は、仕事の合間に大急ぎで、という食事を繰り返させられているのは、実は、子どもたちのことではなく大人のことなのかもしれない。

 日本食は世界に名高い。ミシェランに3つ星をもらったレストランが最も多い都市は、フランスの都市ではなくて東京だ。日本料理の美味しさ美しさには比類がない。それは、世界中に異論がない。

 だから、せめて、食を分かつ楽しさ、食を愛でる感謝の心、そういう、日本にも確かにかつてあった大切なものを、子どもたちや若い人たちにも伝えてほしい。日本の若者たちを、それなりに丹精込めて供された食事をエサを掻きこむように食べるみすぼらしい姿で世界に送らないでほしい。

 食べるものが捨てるほどに溢れているというのに、食文化の方は、こんな風に崩れていっている。
「食育」を重視する心が、栄養とか育児のためだけではなく、大人たち自身が「楽しむ」場を取り戻し、努力して、みんなで食卓を囲む時間を作ることにつながってくれれば、と思う。
 ゆっくりとしたスローな時代、日本にも、洗練された食文化があったとまだ記憶する。何のために、こんなに忙しく働かなくてはならないのだろう。何のために、こんなに人々を働かせなくてはならないのだろう。
 忙しさは人間をみすぼらしくさせる。金がないことが人間をみすぼらしくさせるのではない。