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2009/03/26

ペーターセンとフロイデンタール:生き様という教育  

 世相が悪くなると優れた教育者が出てくる。「教育」は未来だからだ。

 世の中が乱れ、未来社会の行方が描けなくなるとき、人は、理想の未来を生み出そうとする。そして、理想の未来とは、今育っている子どもたちのために、理想社会を学校の中に体現することによって、かならず一歩近づいてくるものだ。そして、それは、子供に対してというより、大人が、自分自身、真実に従って生きるということであるのだと思う。


 イエナプラン教育の生みの親ペーター・ペーターセンは、二つの大戦の間のドイツ、経済不況で人心が腐敗し、政治家も軍隊も規律とモラルが荒みきっていた時代に、民主的な社会の理想を掲げ、異年齢学級を基盤とした自立と共同の涵養を何よりも追求した教育理念を作り上げようと努力した。

 ペーターセンが、「小さなイエナプラン」という、ほんとうに小さな、けれども、イエナプラン教育の関係者の間ではバイブルのように読み続けられている本には、次のような珠玉の、しかし力強い言葉が残されている。

将来どんな政治的、経済的な状況が生じるか、私たちは誰も知らない。
未来は、人々の不満、利益追求、逃走、そして今の私たちには想像のできない新たな経済的、政 治的、社会的状況によってきまるだろう。
けれども、たった一つ確信をもって言えることがある。
すべての厳しく険しい問題は、問題に取り組んでいこうとする人々がいて、彼らにその問題を乗り越 えるだけの能力と覚悟があれば、解決されるだろう、ということを。
この人たちは、親切で、友好的で、互いに尊重する心を持ち、人を助ける心構えができており、自  分に与えられた課題を一生懸命やろうとする意志を持ち、人の犠牲になる覚悟があり、真摯で、嘘 がなく、自己中心的でない人々でなければならない。
そして、その人々の中に、不平を述べることなく、ほかの人よりもより一層働く覚悟のある者がいなく てはならないだろう。

(ペーター・ペーターセン「小さなイエナプラン」(1927)より、訳:リヒテルズ直子)

 このペーターセンの教育は、戦後、ヨーロッパの中でも民主意識が遅れていたといわれるオランダで、60年代になってやっと未来の理想社会に向けて、若者や知識人が大きく軌道を修正し始めた時代に、スース・フロイデンタールという女性によって紹介された。

 彼女は、ナチスドイツの占領下にあったオランダで、迫害されたユダヤ人の数学者を夫に持っていた人だ。夫が捕虜として収容所に連行されて帰らなかった日々、ヒトラーが優勢種としたアーリア人の血が自分に流れていることを、彼女はどれほど苦々しく思っていたことだろう。戦争が終わって41年後、ユダヤ人だった夫ハンスが、スースの葬儀に際して残した言葉は、この女性の強靭さと女々しさのない深い愛情がうかがえて深い感動を覚える。

最愛のスースへ

僕は、今、こうして永遠の眠りについてしまった君に、最後の言葉を送ろう。僕は、この厳しい日々 に、君との間に生まれた子どもたちや友だちが僕を支えてくれているおかげで、ここにこうして立っ ているのだよ。

君が、この世界に、そして、何よりも教育の世界にもたらし、これからもずっと持ち続けるだろう意味 は、多くの人が、その心からの感情を持って語ってくれた通りだ。だから、僕は、君が僕にとって、 ぼくたち にとって、また、ぼくたちの家族にとってもたらしてくれた意味の大きさについてだけ、話 をしよう。

「春の兆しなど全く感じられない冬の夜
見知らぬ国から来た見知らぬ人として、君は、私の前に現れた」

あれは、55年も前のことだ。54年間の間、私たちは、夫婦として結婚生活を送ってきた。君は、私 に4人の子供をもうけてくれた。おかしな言い方かもしれないけど、子どもたちは、君の子供たち だったし、今も君が育てた子どもたちだ。君は、この子たちを食べさせ、養い、見守り、僕が足りな い分までを補ってくれた。11人の孫たちは、私たちの孫だ、と言ってもいいかも知れないね、でも、 やっぱり、大半は、君の孫だ。子や孫と合わせて一同21人がそろってとった金婚式の写真がある。

君は僕にそれ以上のものを与えてくれた。最初の日から最後の日まで、私の方からは、とても、同じ だけ のお返しなどできなかった君の愛だ。僕たちは、愛情も苦しみも分かち合ってきたね。苦しみ については、君は、僕よりも重い方を引き受けてくれた。

こんなに性格が違う二人の人間が、いったいどうして、半世紀以上もの間一緒にいられたのだろ う? お互いに競り合うような、とても接点のない性格の二人が、お互いを補い合おうとしていたのだ ろうか? 君が、こんなにも長い間、僕と共に成し遂げることができたことを、僕は君に対して何か やってきただろうか? 君をぼくは誇りに思っているよ。君も、僕を誇りに思ってくれているかい?

君と共に暮らした人生を思うと、君のいないこれからの人生を想像する力が僕にはない。人間として の感情と浮き沈みに満たされ、そして、どのひと時として、決まり切った旧態依然に戻るようなことは なかった君との人生を。

僕たちは激しい嵐に共に闘ってきたね。そして、最も厳しかった嵐の時、君は、率先して主導権を 握った。君は、何かのために一人で立ち向かっている時にこそ、最も大きな強さを発揮したね。ぼく が、ハヴェルテの収容所にいた時、ウェーテリングスハンスにあった時だ。君は、戦争の中に、こと に、餓えの冬にあった時だ。町や農民をたずねて、食料と燃料を探しに出なくてはならなかった。 君の家族のた めに、そしてそれだけではなく、収容所にいた僕の家族や友人たちのためにも。戦 争が終わってからも何年間も、こつこつ働き続けなくてはならなかったね。それは、僕が、僕の天性 の仕事にもう一度立ち向かっていくことを許された間も、君にとっては、ずっと続いた仕事だった。

半世紀以上もの長い間、僕たちは一緒だった。山や林を共に歩いた。時には子どもたちも一緒 に。天気の良い日も悪い日も。芸術と学問の世界を一緒に歩いた。お互いの好みを認め合いなが ら、長い道を、どこかで、互いの存在を確かめ合いながらね。わたしたち二人を剃刀のように鋭く分 かち、また、同時に深く結びつけ合う、感情という広い世界とともに。

君は本当に何といつも強靭だったことだろう。僕にとって模範のようだった。そして、君の強靭さが 僕を落ち込んでしまった苦境から助け出してくれた。

君の最後の心配は何だったのか知っているよ。ハンスは私なしでどうやってやっていくのだろう?  そう思っているんだろう。心配するなよ、リトル・ガール。君は、僕に、強靭な男の子になれ、と教え てくれたよ。

僕が君よりも長く生きるとは今までに一度も考えてみたこともなかったよ。いや、僕が一人で長く生き ているわけはないさ。君は、僕の思いや感情の最後のひと絞りまで、ずっと一緒に生きていくよ。そ して、僕が今「じゃあまたね」といえば、君は、すかさずに、あの、君の忘れることもできない声で、ま た、こう、僕に言うだろう。「しっかりしなさいよ、ハンス」とね。


Hans Freudenthal, Schrijf dat op, Hans---Knipsels uit een leven--- , Meulenhoff, Amsterdam, 1987より。(訳:リヒテルズ直子)