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2009/03/17

インクルージョン

 インクルージョンという言葉がある。
 インクルードとは「含む、包括する」という意味、人間関係でいうなら相手を「受け入れる」という意味だ。つまりインクルージョンは「包括」「受容」という意味になる。
 インクルージョンという語は、けれども、訳をせずに、そのまま社会関係の用語、教育に関しては一つの術語として使われるようになってきた。
 日本では、これは軽度発達障害児を普通校で指導する「特別支援」教育の術語として狭く使われている。おそらく、1994年にスペインで採択された「サラマンカ声明」がきっかけとなり、世界の多くの国で、特別のニーズを持つ子どもに対する「特別支援」教育の必要と強化の動きが、この点で、非常に後れをとっている日本にも、一種の外からの圧力として及んできた結果であると思う。

 しかし、「サラマンカ声明」にしても、もとはといえば、「人権宣言」の精神の、教育面における具体的な表明にすぎない。すべての子供に教育の機会を、というのは、すべての子どもの人権としての発達の機会を保障せよ、ということなのだ。

 インクルージョンの議論は、オランダでは、実を言うと60年代に議論され始めている。そのきっかけの一つとなった本に、ブールウィンケルの「インク―シブな考え方」という本がある。一刷目は1966年にすられているが、わたしが古書店で手に入れた本は、1971年に出た第14刷目の本だ。とにかく、当時、ものすごく売れた本であるらしい。副題に「新しい時代は新しい考え方を求める」とある。

 中身をみると、教育のことではなく、もっと広く、社会全体のものの考え方を議論したもので、インクルーシブな考え方を、同調主義、寛容、平和主義、アブノーマルな行動、相対主義などと比較している議論が、実に、挑戦的で、当時の時代の雰囲気を垣間見せる、また、人をわくわくさせるような「理想主義」を感じさせる本だ。

 あの、若者たちの「理想主義」が元気良く飛び交った時期、「インクルージョン」の思想は生まれた。
それは、それまで、無言のうちに「排除される」人々、思想をも、受け入れていこう、という意志であったと思う。当時、それまでタブーだったさまざまのことが日の目に引き出され議論されるようになった。

 安楽死(尊厳死)、女性の権利、フリー・セックス、同性愛、などだ。

 タブーというのは、現実には起こっており、皆承知していて見て見ぬふりをしているもの、ということだ。

 だから、タブーを日の目に出した、ということは、ダブルスタンダードを受け入れることを拒否した、ということだ。つまり、タテマエとホンネを分けて話すのは、もうやめようじゃあないか、と。

 そういうこの時代の人々の理想主義的な意思の源は、ヴォルテールの言葉(といわれて有名な)に象徴される、近代化の黎明期の啓蒙主義に元をたどることができる。

 それは、「わたしはあなたの意見には反対だ、だが、それを主張する権利は命をかけて守る」という言葉だ。


 インクルージョンとは、単なる「特別支援」教育の術語ではない。それは、人間の発達の歴史を通じて、今も脈々と流れる、近代人の心構えの核になるものなのだ。

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 インクルージョンを、だから、学校でも、技術・制度としてとらえてほしくない。
 学校そ言う存在、学校に集まる、教育をめぐる大人の共同体、そのものが、「インクルージョン」の精神を、自ら体現していなくては、高々「特別支援」教育の格好をつけてみるだけでは、何も真意は子どもたちに伝わらない、ということだ。

 インクルージョンを体現できる学校とは、すべての子供が、ありのままで学びに意欲を持ち、学ぶことに喜びを感じられる学校だ。自分自身の発達のために、懸命に、ベストを尽くすための環境が整っている場所であることだ。そういう状況を作り出すために、それでは、大人はどうしたらいいのだろう。

 すべての教員が、ありのままで子どもの発達を支援することに意欲を持ち、喜びを感じられる学校であるべきだ。先生自身が、その職業の向上のために、懸命に、ベストを尽くすための環境を保障されていること、そして、お互いが、そういう姿で働くことを、尊重し合える(インクルード)ことに他ならない。

 そして、子どもの発達を見守る場として、教員と保護者とが、ともに、互いに協力して(お互いにインクルードして)、子ども自身が、もって生まれた能力を最大限に発揮できる大人になるようにと、手助けをする場でなくてはならない。

 それなのに、どうして、日本には「モンスター・ペアレント」が生まれるのだろう。
なぜ、先生は、「最近は子どもの親がなっていないんですよ。家庭教育が何もできていない。私にはとても手に負えない子供たちばかり」としか言えず、なぜ、保護者は「この頃の先生は、みんな、何を考えているのやら、、、、」としか言えないのだろう。

 なぜ、先生は「お母さんも大変ですね、今の世の中、働かないわけには行かないし、みんな自分のことしか考えずにばらばらだし、、、一緒にお子さんのために考えていきましょう」と保護者を包み込み、保護者は「先生も大変ね、こんなに大勢の子供たちで、規則も多いし、仕事も多いし、何か私たちにできることはありませんか」といえないのだろう。

 制度が悪い、それは、私も同感だ。ならば、なおのこと、その制度を変えるのは、そこに積極的に参加して、「子どものために」「未来の社会のために」制度の変更を求めていく、市民自身ではないのか。その、一般の、けれども「投票権」と「言論の自由」を持っているはずの市民が、制度や体制に対してだけではなく、お互いの間で、競争し合い、反対し合っている、、、

 オランダの1960年代から70年代の若者や知識人たちが気づいたのは、そのことなのだと思う。
 自分たちがやらなくて、いったい誰がやるのか、と。
 だから、協力を求めた。だから、「インクルージョン」を求めたのだ。

 インクルージョンは「同調」や「集団主義」ではない。インクルージョンは、「自分」が自分自身の足で立っていること、自分を見極めていなくてはできない。自分があるからこそ「包みこめ」「受け入れる」ことができるのだ。自分を持たずに、朱は朱に染まればいい、というのはインクルージョンではない。

 朱もあれば、赤も、黒も、白も、青も、そして、さまざまのグラデーションがある。人がそれぞれの、自分にだけしかない色を持って生きながら、けれども、自分以外の他の色の人がそこにいて、自分と同じように生きる権利を持っていることを、体を張って認める、ということだ。

 ジャーナリストは「記者クラブ」でおこぼれ情報を記事にし、右翼の宣伝カーは、人の声をかき消してけたたましく人々を威圧し、子供たちは、入試と、「検定」教科書で、画一化されていく日本。

 本当の「やさしさ」はそんな社会には育たない。

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 きのうも若い人たちが、日本から、オランダの学校を見に来た。
 そして、子どもを「人間」として扱うその姿の、日本とのあまりの違いにカルチャーショックを受けている。そして、困惑した表情で、つぶやくのは「でも、日本にだっていいところありますよね」という言葉だ。

 ふと、可笑しさがこみ上げる。オランダ人など、「でも、オランダにだっていいところありますよね」などと、口が裂けても言わないだろう、と思うからだ。

 なぜ、日本とオランダの間に線引きをしなくてはいけないのだろう。
 なぜ、日本人であればみんな持っているはずだ、というような「何か」にこだわるのだろう。その前に、なぜ、自分は「何が好き」で「何が嫌い」といえないのだろう。
 そもそも、なぜ、物事を「いい」「悪い」に分けなくてはいけないのだろう。「いい」も「悪い」も、一人ひとりの価値観次第ではないか。もし100人のうち、自分だけが何かを「いい」と思っていても、99人が「悪い」と言えば、引っ込めてしまうというのか。そんなものは、初めから、何の価値もないものだ。
 だから思う。なぜ、人から「いいわね」と言ってもらわなければ、あなたは自分が信じられないのか、と。


、、、、、、

 しかし、哀しいけれど、それが人間なのだ、と思う。それが、他の人を求め、他の人を惹きあう、「社会的」な人間の素質なのだと思う。
 
 ひとは、誰もたった一人では生きていけない。一人で考えを巡らせば、やがて、社会性が疲れ果て、病気になり、人間としての存在、他の人を人間として受け入れることすらできなくなる、それが人間だ。

 インクルージョンは、他の人を「肯定すること」から始まる。インクルージョンは、人を「褒めること」から始まる。
 「協調」は、自分と相手のどっちがいいのか、と見比べ競争している間は、絶対に実現しない。