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2009/12/03

日本は孤立していない:軍事をめぐる対米関係と国内政治---マスメディアの力が発揮される時

 今日の日本とオランダの新聞の1面は、実に興味深い酷似した記事で埋められた。
 
 今日の日本の新聞は、どこも、社民党の福島党首が、2006年の自公政権時代の日米合意に従って米軍普天間飛行場を同県内名護市の辺野古に移設することを民主党が決めるのであれば、『連立政権からの離脱も辞さない』という構えを見せた、というニュースを伝えていた。8月末の総選挙後、民主党との連立政権の樹立にあたって『基地のあり方の見直し』を盛り込んでいた社民党にとって、辺野古への移転を安易に受け入れることは、党内の結束にとっても、党を支持する有権者からの信頼の維持という点からも、裏切りになる。福島党首が党首選に先立って明確な発言を余儀なくされた、というのは納得できる。

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 いよいよ、日本の政治が、まともな政党政治の様相を呈してきた。

 政党間で、優先政治課題をめぐって議論が起こる様子は、オランダの政治で何度も見てきた。そのたびに、連立に揺れが起こり、有権者が政治議論に引きつけられていく。自分はいったいどの立場を支持するのか、と考えさせられる。議論の焦点が知りたくて、新聞やテレビの議論を見ずにはいられなくなる。ジャーナリストの物足りない突っ込みや政治家のあいまいな発言に不満を感じるようになる。だから、ジャーナリストが育ち、政治家の議論力が向上する。

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 ところで、他方、オランダの今日の新聞の一面記事のタイトルは、「ウルズガンをめぐって連立政権内に緊張が高まる―――オランダ軍の駐在延長の圧力をかける米国」というものだった。
 ウルズガンとは、オランダがNATO(北大西洋安全保障条約)の一員として軍を送り平和維持協力をしているアフガニスタンの地域のことだ。かなり危険の高い地域で、これまでに何人かのオランダ兵士が命を落としている。
 昨日、オバマ大統領がアフガニスタンへの派兵増強を決定したことを受け、アメリカ合衆国高官レベルからNATO(北大西洋安全保障条約)加盟国に対して、協力要請があったという。だからオランダの政治家らもざわめきだって来ている。

 元より、アフガニスタンへの平和維持軍の派遣を決めた数年前は、オランダでも激しい政治議論が行われた。決定当時は、親米派のキリスト教民主連盟CDAが主導権を握っており(現在もそうであるが)対米協力の姿勢が明らかであった。しかし、連合を組んでいた中道左派系の小政党、民主66党が反対し、アフガニスタン派兵の決定は、野党にいた大政党労働党の意向に大きくかかることとなった。結局、当時政治的に極めて中道化していた労働党は、民主66党の期待に反して、アフガニスタン派兵に同意してしまった。民主66党は、当時、実に苦い思いをさせられた。

 そんな経緯もあり、また現在、労働党の微妙な立場の変換もあり、状況は変わってきている。
 アフガニスタンへの軍事協力では、犠牲者も出し、、国内でも、その効果や意義についての賛否両論が繰り返された。派兵後に後退してできた新政権では、労働党がキリスト教民主連盟と組んで政権入りをした。当時の選挙では、社会党が票を伸ばし、議会内で革新勢力が増大するとともに、極右的な政党も生まれ、力のバランスが変わり、やや分極化の傾向も見られてきていた。そんな中で、連立政権内でCDAと張り合いながら与党の立場にある労働党は、オランダ軍をアフガニスタンから早く撤退させる方針に姿勢を変えてきている。金融危機下で、防衛支出もばかにはならないはずだ。すでに、内閣は、2007年の段階で、アフガニスタンへの軍事協力は、来年2010年で終了という決定を下しており、議会も承認済みだ。
 来年以降の駐在延長はあり得ない、というところに、今回のオバマ大統領の決定、そして、軍事協力の圧力がかかってくるということとなった。オバマは民主党であり、親ヨーロッパ派で、国際協調支持の立場であるだけに、「やりにくさ」も目に見える。

 与党第1党で親米派のキリスト教民主連盟CDAに属するフェルハーヘン外相は、アメリカ合衆国からの要請を真剣に受けとめるべきで、「軍事協力を残したい」という意向を示した。これに対して、連立政権のパートナーである労働党議員らからは、撤退の姿勢を堅持する反論があがっている。つまり、これが、政権内に『緊張高まる』という事態である。
 特に、外務省内に附設された『開発協力省』の大臣であるクンダーズ開発協力相は、「オランダはすでに十分な軍事貢献をしたのだから、今後は、開発協力に代えられていくべきだ」という意見を明らかにした。また、同党国会議員からは、『アメリカ合衆国は、フランス、イタリア、スペインなど、これまでまだ十分な協力をしてこなかった国から協力を引き出すべきだ』という意見もでてきている。

 いずれにしても、3万人の軍事力増強を決めたアメリカ合衆国は、NATO加盟国に対して、およそ1万人の増強を要請する見込みであるという。今後間もなく、NATO加盟国の外相会議が開かれ、対応が話し合われるらしい。イタリアはすでに1000人増兵を受け入れた、という。

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 世界の紛争地を巡る『平和維持軍』の派遣については、日本でも賛否両論が繰り返されてきた。
 米国からの軍事協力要請に『応えなければならない』という感情は、第2次世界大戦以後、戦災復興期に米国の経済援助の世話になった西側諸国では、大抵どこにでもいまだにある。
 オランダは、戦後間もなく、現在のCDAの前身にあたるカトリックやプロテスタントのキリスト教者を基盤としたキリスト教保守政党が政権をとり、マーシャルプランで知られる米国からの大量の資金援助に助けられて、目覚ましい復興と高度成長を実現できた。NATOは、アメリカが西ヨーロッパの国々に着せている『恩』の象徴のような面が確かにある。

 しかし、冷戦体制下における、米国の「自由社会」の理想の矛盾、血なまぐさいベトナム戦争や産業優先の環境汚染の事実などが、60年代70年代のヨーロッパの若者たちに、自分たちの声を上げる文化を生み出してきた。そして、何より幸いであったのは、そういう、カネやモノの価値だけに振り回される物質文化から離脱して、クオリティ・オブ・ライフ、つまり、心の豊かさを求める人々の意識、それを越えにして自国の政治に反映させなくてはならないのだ、という意識が、一国だけではなく、隣接する複数の国で、同時に起こったことであったろう、と思う。 
 また、それとともに、ヨーロッパの人々は、共産主義のソ連の強権も目の当たりに見てきている。80年代の終わりから、それまで、目の前に立ちはだかっていた鉄のカーテンの向こうの共産諸国が次々に自由主義へと転換し、西側に流れ込んでくる、という経験もしている。強きに従うのではなく、小国たれども、人々が独自の声をあげ、それに基づいて独自の道を選び、また、それぞれの国が各自の独自性を維持しながら協働しなくては、世界情勢の波に洗われてしまうという意識が、ヨーロッパの国々にはある。
 ヨーロッパの国々が多様性をことあらためて強調する、その大元にあるのは、個々の市民の良心の自由が尊重されねばならない、という信念だ。 

 日本は、ロシア、中国、北朝鮮と、共産化していくアジアの中で、唯一、アメリカ合衆国との安全保障条約に保護されて、目覚ましい経済発展を遂げた。とりあえず、隣国の不幸、隣国の開発の遅れは、日本にとってはどうでもよいことだった。しかし、アメリカとの強い紐帯に支えられた経済発展の代償として、日本は、アジアでの孤立を余儀なくされてきた。同時に、日本人は、アメリカの庇護なしに、経済的な豊かさは維持できないのだ、とあたかも暗示にかけられるように刷り込まれてきた。そして、それがために、自分の頭で工夫し、モノを考え、新しいものや考え方を創造的に生み出す国民を一生懸命育てていなくても、何とかなる、そう思わされてきたのだ。しかし、経済発展の恩恵を受けて、本当の幸せを手に入れていたのは、いったい誰であったろう。

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 世界情勢は大きく変わってきている。日本人の不幸は常軌を逸している。世界情勢は日本に外交姿勢の転換を迫り、国内の人々の不幸は、人々自身が自分で選べる生き方、ひいては、人々自身が決める政治への転換を求め始めている。

 変わる情勢の中で、一般市民の議論や声が、世界中に響き渡る時代でもある。

 オランダはじめヨーロッパ諸国の政治方針は、国内政治の駆け引きを対内的にも対外的にもオープンに示していくことで、自国の有権者の声を反映して決められていく。
 同じことが、日本でも求められてきているし、実際にできる政治体制が育ち始めている。今日のニュースを見ながら、そう、強く感じる。日本だけが、対米外交に苦しんでいるわけではない。日本だけが、連立政権の緊張を経験しているわけではない。こういう緊張こそが、有権者を政治参加に目覚めさせ、それが、国外のどんな権力によってでもなく、国の政治を自分たちで動かす政治へと変えていくのだ。

 だが、民主党政権を樹立して、一つ大きな山を越えたように見える今の日本の政治の光景は、あたかも、越えてみた山の向こうに広がる果てしない荒野を見るようだ。60年にわたって対米依存で、民主政治や民主制度の精緻化を怠ってきた今の日本に、自分が政治の主人公だという自覚を持つ有権者は少ない。そういう状況を生んでしまった大きな原因は、一つは、産業社会型の競争教育にあり、もう一つはマスメディアの怠慢にあると思う。後ろには、言論ではなく、暴力でひとびとを脅し続けてきた右翼団体もいたのかもしれない。

 経済大国のこの姿は、あまりに、あまりにみすぼらしい。

 アメリカは、ヨーロッパ諸国の有権者を尊重するように、日本の有権者の意向も尊重するようにならなくてはならないはずだ。開発途上国といわれるアジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々に、現地の人々の頬を札束で叩くような態度で乗り込んでいっていた、そんなアメリカ(人)は、もう誰ももとめていない。アメリカが『自由』と『世界協調』をほんとうに尊重する国であるのなら、アフガニスタンであれ、普天間であれ、方針を決めるのは、当事者として政治に参加する各国の有権者ひとりひとりでなくてはならないはずだ。

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 普天間飛行場の移設問題での福島社民党首の発言に対して、鳩山首相は、連立政権安定の優先のために、社民党や国民新党などの意向を尊重する、という態度を明らかにしたという。

 それを受けて、某新聞は「日米関係が大きな打撃を受けるのは避けられない」と素早く付け加えていた。

 新聞には、日本人自身が、福島党首の発言、鳩山首相の対応を『どう受け止めているか』を取材して報道してほしい。日本の新聞は、あたかも、高みの見物をするような記事を書く前に、きちんと、日本人の声を伝える媒体になってほしい。たとえ、日本語の記事であっても、日本人が読んでいる新聞の内容は、アメリカ政府の要人は把握している。日本の新聞は、日本人自身の考えがいったいどこにあるのか、それをどんどん書くべきだ。

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 オランダでは、マスメディアに対して、国から多額の補助金が支払われ、表現の自由が守られている。担当相である教育文化科学省の年報には、こう書かれている。

「メディアは民主主義が機能するために重要な役割を持っている。日刊紙、オピニオン誌、公共放送は、社会内部の議論にステージを与えるものである。近代的な民主主義はさまざまの立場や考え方の人々が声を上げられるメディアの介在なくしては機能することができない。メディアは人々に、生涯にわたって学び続けることを刺激するためのものだ。伝えられる情報内容は、だれからも制限を受けない独立のものでなくてはならず、立場の多様性を保障し、また、十分に質の高いものでなくてはならない。また、それとともに、人々にとって、アクセス可能であり、購入可能な妥当な額のものであることが非常に重要である。」

 オランダの公共放送が、会員制のNPO団体に対して、会員規模によって、放送時間を割り当てる、公衆に開かれたものであることを、私は、これまでに何度も何度も、さまざまの媒体を通して伝えてきた。マイノリティの声を伝えないマスメディアは、民主社会のマスメディアではない。

 これからの日本に、民主主義を支える「社会参加意識」の高い市民が育つか、また、日本という国の未来を、強権を持つ外国の意向に振り回されて決めるのではなく、さまざまの多様な価値観や立場を持つ複数の市民の声を集めながら決めるという政治的な仕組みが生み出されるのかどうかは、マスメディア次第だ。たいへん大きな程度に、新聞や放送の力、そして、もっとはっきり言うなら、メディアで食っている人々の、時として緊張を伴い、かつ勇気を求められる使命感にかかっている。それにしても、この使命感がなくて、いったい、メディア人は、自分の仕事の、何に生きがいを感じ、生きていけるというのだろう、、、、、。

 すべてをカネとモノの価値で決めつける時代は、もうたくさんだ。