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2008/11/06

愛国から世界協調へ

 バラク・オバマが大統領に選ばれてほっとした。アメリカ大国主義の傲慢を絵にかいたようなブッシュ政権には、世界中が嫌気をさしていた。オバマの当選を歓迎する諸外国からの声も、また、彼に投票したアメリカの市民たちも、アメリカ合衆国内および国外で、異文化の相違を超えて、人々が協調し合う時代に合わせた新しい政治を望んでいるのだろう。

 アフリカ出身の父と白人の母親の血をひいているオバマの存在そのものが、それを象徴している。
 文化(culture)の差は、人々が住む風土・自然環境・社会条件などから生まれ作られてくる。しかし、人間の本来持った自然(nature)の質は同じだ。皆、自分自身の頭と心で納得しなければ、健康な精神を保って生きていくことの出来ない存在なのだ。文化や宗教によって規定されたお互いの意見や感情をすり合わせ、人類として、協調して生きていく時代が、また、その必要を、人々が実感として感じ取る時代がやってきただ、と思う。

 オランダでも、つい先ごろ、ヨーロッパ随一の貿易港のあるロッテルダム市の市長に、イスラム系移民の政治家が指名された。ロッテルダムといえば、オランダの古い町。港湾労働者をはじめ、労働者の多い街でもある。しかも、60年代以降増え続けたトルコ、モロッコ、スリナムなどからの移民労働者が多く住む街だ。産業グロバリゼーションの進行によって、少ないとはいえ経済格差が広がり始めたオランダで、オランダ人と移民の、両方の労働者たちは、パイの取り分を、分け合わなくてはならない存在として、いがみ合い、憎しみ合うという構造が生まれていた。2000年ごろからオランダにも生まれた、外国人排斥の雰囲気も、ロッテルダムの市議会で当時勝利したピム・フォルテウン党の反動性に由来している。

 そんな中で、ロッテルダムの市議会は、労働党が中心となり、これまで、移民たちの同化に力を尽くしてきたアハメッド・アブタレブ氏を市長に指名した。16歳でモロッコからやってきた移民だ。彼が、来年以降、市長として、この市の市民たちの間にどんな橋渡しをしていくのか、大変興味深い。

 世界は、異文化交流の時代へと進み始めた。土着と移民とにかかわらず、すべて人は平等の権利を持った世界市民の時代がやって来た。

 さて、日本は???

 日系ブラジル移民、東南アジアからの労働者など、増え続ける移民に対して、果たして、どれほど人権問題に敏感に取り組んでいるだろうか。いじめ、引きこもり、など、日本人の子供にすら、人間としての待遇をきちんと保障できないでいる日本社会が、これらの在留外国人に対して、正当な待遇をしているとは考えにくい。
 もっと怖いのは、やがて、こうした、外国人は、日本の待遇に嫌気をさして、自国やほかに国に行ってしまうのではないか、ということだ。

 本来、外国人ほど、それぞれの文化を相対視できる人はいない。世界地図を頭に描いて、一国の政治というものを見ている人たちだ。彼らの頭にこそ、今の日本の弱点は、明瞭な形で描かれているのに違いない。そういう人たちを日本社会の中に統合し、ともに議論していくことで、どれだけ、日本にとって豊かなヒントが得られるか計り知れない。

 けれども、そういう視点に、日本はまだ全体として立ち得ていないようだ。

 アメリカ合衆国では、ブッシュが山ほどの問題を残して、オバマに政権を渡すことになった。これらの問題の解決から取り組まなくてはならない新しいオバマ政権は、大変大きな挑戦を突き付けられていると思う。しかし、選挙戦を見る限り、そこには、声を上げ、時間や労力を尽くしてでも応援しようという市民の姿があった。彼らが、ともに、社会参加の意欲を持つ限り、アメリカにはまだまだ希望があると思う。

 日本は、もう何年間も、さまざまの社会問題を棚上げにしたままだ。しかも、そうした社会問題に対して、政治家も無策だし、行政者たちも責任逃れをし、専門家の多くは自分の名声にこだわっている。そして、集まって共に働けばこれほど大きな力はないと思われる市民自身が、自分の力で、世の中を変えようという意欲を失ってしまっている。何をするにも、カネのためにしか動かない人々ばかりになってしまっている。自分の人生を、自分の生き方を、一体いつまで、他人に預けておくつもりなのだろう?

「自分はこう生きたい」という内からの声を持たないものに、他の人の生は理解できないだろう。喜びや痛みは自分が体験してこそわかるものだ。

 何でもいいから一歩踏み出してみてほしい。自分がいまどんな環境にあって、誰と関わっているのか、自分にできることは何なのか、大げさなことはいらない。

 他人は反対するものだ。そこでくじけないでほしい。信じていることは、相手を説き伏せてでも説明してほしい。相手の中にある、何か、共通のものを見出してほしい。そこから、協調が始まる。世界協調もまた、お互いの利害を意識した駆け引きの中で、有難い共通点を丹念に探し出していくことからしか始まらない。