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2008/10/18

3点あってやっと異文化理解

 初めての外国暮らしというのは、どうしても冷静になれないものだ。
 私の初めての異国はマレーシアだった。しかも、当時の日本では、マレーシアなど、だれの関心もない国だった。ほとんどの日本人が知らない国に、冒険をするような気持ちで踏み込んだ26歳の若き日のことは、今でも、甘酸っぱい感傷と共に思い出す。
そして、その感傷は、今でも続いている。それはそれでいいのだろう、と思う。
だが、異文化理解、という意味では、あまり冷静な観察者にはなりきれていなかったのではないか、とも思う。日本と比べるにしても、どちらがどの程度にどうなのか、ということが自分でもつかみ切れなかった。2点比較だったからだろうと思う。
 当時のマレーシアは、今と違い、まだまだ典型的な発展途上国だった。私が暮らした村など、電気も半数しか届いていなかったし、水道もなかった。電気のない夜、まだ昼間の暑さが残る村の道を歩いていると、こちらの目には見えない通りがかりの村人が「よっ、ナオコッ」と声をかけてきた。その夜目の効くことに感動していたのは、ほんとうに暗い夜というものを知らない日本人の私だった。そうして、そういう時にふと、「いやあ、文明人なんて、本能を失ってしまっているなあ」なんて感動してひとりごちてみたりする。ナイーブだったな、と思う。
 マレーシアの当時の貧村の人々が、まるで、日本という先進国から来た私の存在など気にもしないで、昔ながらの自給自足に近い生活をしているように見えた。そして、「たくましい」などと感動してしまう自分がいた。開発途上国などという枠をかけて、勝手にロマンティシズムに浸っていたのではなかったか、とも思う。

 幸い、私は、その後縁あってアフリカの半砂漠、トルカナの村に1年足らず住んだ。それこそ、マレーシアの農村などとは比べ物にならないくらい厳しい、電気も水道もそして生活必需品をそろえる店さえもない生活だった。そして、そこで、「開発途上国」という名前でくくられている国々が、どんなに違う事情とどんなに違うメンタリティをもった人たちが住む多様な国であるか、ということを痛いほど知らされた。
 その時、やっと、私にとっての初めての異国マレーシアに対して、冷静になれたような気がした。
 同時に、私の中で、日本、マレーシア、ケニア、という国が、異文化理解の3点としてそれなりの位置を定めたような気がする。

 その後、オランダに暮らした1年も、おかげで、極端に、オランダを好きになったり、嫌いになったりという片手落ちのアンバランスな態度をとらずにすんできたような気がする。

 もしも、これから海外に出ていく若い人たちにアドバイスすることを許されるのだとしたら、どうか、たった一つの国を見ただけで、外国を知ったような気持ちにだけはならないで、と言ってあげたい。無理をしてでも、少なくとも3つの国に住んでみなければ、本当の異文化理解にはならないような気がする。