Translate

2008/10/21

国際結婚の醍醐味

 自分とは異なる国から来た人間と結婚して、何に一番戸惑うか、というと、夫婦間の役割分担、男と女の間の役割分担に、「当然」だとか「わかりきった」ことがないということだ。お互いに相手の行動を、自分がイメージしてきた相手の国の文化から割り出そうとする。そして、案外、そのイメージが当たっていないことに気づかされ、修正を余儀なくされる。まして、国際結婚などをする気になる人間というのは、もともと、自分の国の中でもどちらかというと「変わり者」のほうで、自分の国の文化を代表しているというより、いくらか拗ねた皮相な見方をしており、自国の文化を背負う大道を歩くなどといった気分は持っていない確率のほうが圧倒的に高い。そのくせ、相手に対しては、自分が勝手に抱いている相手の国の文化でフィルターをかけてみているわけだから、それが、しばしば、ことを一層複雑厄介なものにする。

 このことは、子どもが生まれ、二人で育児を始めるともっと面倒なことになる。子どもに対して、父親は、母親は何をするのか、男の子に対する態度は、女の子に対する態度は、、といったことで、いちいち、相手の行動に、予想もしていない驚きがあるからだ。
 長男が三歳の時、近所の子供たちを招いてバースデー・パーティを開いた。私の役割は、子供たちが喜びそうなランチを作り、小さなお菓子の包みやおもちゃを用意して、つまりは、シチュエーションを整えておくこと、後は、夫が、子供たちを相手にワイワイ遊んでくれるもの、となんの疑いもなく期待していた。ところがどっこい、パーティが始まっても、夫は、ニコニコ見守っているだけで、先に立って子供たちを遊ばせてくれるような気配がまるで見られない、、、、子どもたちは、もうカオスというよりなく、ありの子を散らしたように収拾がつかない状態で騒ぎ遊んでいる。期待を裏切られた私のほうは、そうして立っている夫が木偶の坊のように見えて、イライラし、段々、機嫌が悪くなってしまった、、、

 そもそも、オランダ人の大人たちというのは、一般に、子供たちの先に立って何かを「指導する」「やらせる」ということをしない人たちだ。何か、集団として「まとまって」物事をやらせるということもとても嫌う。それは、アメリカ人などに比べても歴然たる違いがある。子どもたちは、それぞれ、好きに、それこそ「自己発見的に」遊び、学び、育てばいい、と思ってるらしい、と言っても多分言い過ぎではない。
 しかし、それを初めて「目撃」した時、私は、子どもたちをカオスの中に何時間も放りだしておける夫が、ほとんど未知の星からきたかのように不可解存在に見え、その不可解を自分の中で消化することができずに不機嫌極まりない状態になってしまった。

 こういう突然降って湧くような「意外」さは、以後、夫との生活の中でどれだけ経験したか数えきれない。同時に、自分自身が、まったく無意識のうちに、どれだけ日本人としてステレオタイプの行動をしていたかに気付くことも数限りなくあった。
 特に、男の子と女の子に対する夫の態度、私の態度には、ほとんど歴然とも言えるほど、典型的なオランダ人、日本人の態度があったと思う。男の子だからと言って「たくましさ」「強さ」をことさら求めない夫は、成長していく息子の様々の悩みに、友達のような気楽さでいつも付き合ってやっていた。私はといえば、無意識のうちに、「長男なのに」「男の子なんだからもっと」と、気持ちの優しい長男に対して、どこかで、突き放し、力以上のことを期待してきたような気がする。
 また、半面、いつまでもボーイフレンドができないティーンエージャーの娘に、男の子の心理などを教え、そろそろ、「ボーイフレンドの一人でも作って人生経験をしないとあいつはいつまでも子供のままだよ」などと言っている夫に、わたしはといえば「へえーっ、そんなこというのか」なんて心の中で感心している。
 子育てをすることで、こういう相手に対する思い込みの強さ、子どものジェンダー役割への期待がどれだけ自分の育った環境に無意識に影響されているかを知ることは数限りなかった。相手の文化の価値観でもなく、自分のそれでもなく、なおかつ、夫婦間のどちらにもアンバランスな関係にならないように、お互いにとって平等で、そして何より子どもにとって最善の子育ての基準は何なのか、、、、冗談などではなく、私はそれを本当に何度深刻に突き詰めて考えたかわからない。
 そして、思い至ったのは、その子一人一人の成長のチャンスを最大限に生かしてやること、早く生まれたとか遅く生まれたとか、男だから女だからというのではなく、どちらにも、一〇〇%自分らしく生きる権利があるのだ、ということだった。
 国際結婚の結果生まれてくる子供たちは、親が持ってきた二つの文化のミックスなどではない。二つの文化を背景にし、それぞれ、自分の文化を外から眺めて批判的に見直しながら生きる二人の人間が意図的にしだいしだいに作りあげていく「新しい」文化の成果なのだと思う。そして、子ども自身が生まれ持ってきたユニークさが、そんな環境の中で、最大限に引き出される時、彼らは、幸せな、底知れない可能性に満ちた人間として育って行ってくれるのだろう、と思う。

 国際結婚の醍醐味は、こんなところにある。そして、もしかしたら、それは、国際結婚でなくても、どの夫婦にも当てはまることなのかもしれない。

 昨日私たちは結婚25周年を迎えた。
 ほとんど空気のようになってしまって普段大げさな会話もけんかもしなくて済むようになった。
 昼過ぎ、玄関のベルが鳴り、お花屋さんが、25本の深紅の薔薇の花束を届けてくれた。花束には「冒険に満ちた25年に25本の薔薇を。ありがとう」と書かれたカードが添えられていた。またしても「びっくり」「予想外」の出来事だった、、、、