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2008/10/23

遊ぶ

「なに、そんなに深刻にならずに、遊んで来ればいいんですよ」

マレーシアへの留学が決まり、いよいよ数ヵ月後に出発という時、急に不安になった。まじめに勉強してきたわけでもないのに、留学なんておこがましい、、などと、それまで、何年間もチャンスを狙ってきて、やっと念願かなった留学が、自分には身分不相応なものに思えてきたのだ。今どきの若い人たちなら、留学など珍しいことでもなく、きっと笑うに違いない。

「やっぱり奨学金は辞退しようかと思います」などと、自分自身では殊勝なつもりで、指導教官のところに話に行ったのは、今思い返すとずいぶん甘えていたな、と思う。

口数の少ないその先生が、その時、やさしく目を細めてフフンと笑いながら、たった一言、私に言われたのが冒頭の言葉だった。それですっかり肩の荷が下りた。

それから2年間にわたる留学の間、留学の研究テーマなどには一切かかわらず、せっせせっせと見たこと聞いたこと感じたことを文章に綴り、この先生に書き送り続けた。この先生が実際に目に見えないことを、私が、どれだけ文章の力で伝えられるか、そういう挑戦を自分自身に課していた様に思う。本当に、自分は、上手に遊べているだろうか、と試しているような気分でもあった。

遊ぶ、とはいろいろに解せる言葉だなと思う。

フィールド調査では、自分がその場の人と同じ所に立って一緒に遊ぶくらいの気持ちがあると相手も心を開いてくれる。「見てやろう、調べてやろう」などと構えていると相手の心は開かない。

遊び心があれば、自分自身を客観視することもできるようになる。物事に対して、相対的に眺めよう、という気持ちになれる。

遊びの気分でいると、人生が少し楽になるような気もする。他の人との仕事がしやすくなる。「どうせ遊びじゃあないか」という気分が、相手にも自分にも過剰な期待を産まないから、やさしくなれるのかもしれない。

ところが、時々、心に余裕がなくなり、この気分を忘れてしまう。そして、きりきりがりがりと自分の殻の中に閉じこもり、自分自身が周りのだれよりも小さく貧しいものに見えてしまったり、また、逆に、周りの人すべてがどうしようもなくひどい存在に見えたりする。一人で落ち込んだり、他人に厳しくなってしまったりする。

遊ぶ、というのは、たぶん、前向きに、そして、他の人をそれなりに受け入れて生きていくために、なくてはならない心のゆとりなのだろう。 ゆとりを持つということは、何と難しいことだろう、とも思う。


この一言を私に下さった先生は、わたしが留学から帰ってきていきなり「オランダ人と結婚します」といった時も、泰然そのもの、これまた、フフンと笑って「そうですか」の一言だった。日本で挙げた結婚式に出席してもらったが、式後、大学関係者だけで二次会があったと後で聞いた。その場で先生は「彼女は、きっと何か大きなことをしますよ、いつか必ず」と言われた、とその場にいたある人が後になって教えてくれた。ドキッとし、ずしんと重い課題を課された気がした。

それから二五年の歳月が流れた。
仕事には就かず、夫について、アフリカ、ラテンアメリカの地を転々とし、ただただ普通に出産、育児、掃除、洗濯、炊事の日々を送った。
「何かやらねば、何かやらねば」という気持ちだけが先に立って、何もできない、先の見えない日々が続いた。

やっとオランダを拠点にヨーロッパで生活を始めることができるようになり、子どもたちも大学生となって手を離れてきて、ようやく、何か自分にしかできないことがあるのではないか、と少しずつ見えてきたような気がする。

目の前のことで精いっぱいだった間も、「いつの日かきっと」と思い続けることができたのは、この先生の「遊んでいればいいんですよ」の一言があったからではないか、と思う。そして、人づてに「いつか必ず、、、」といわれた先生の言葉は、宿題とも励ましとも聞こえながら、今も、心に鳴り響き続けている。