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2008/10/19

5円玉

 真ん中に穴のあいた5円玉を掌に握りしめ、たった一つ先の停留所まで一人でバスに乗っていった小学1年生だったあの日。手のひらに載った5円玉のイメージは、50年近くたった今も脳裏に残っている。
 一人旅が好きだった。他人に合わせて、グループで動くのは苦手なほうだった。弱虫で、恥ずかしがりやで、怖がりのくせに、一匹狼を装ってみせるような人間だった。
 大学に入って、休みになるごとに、日本各地を一人で旅した。初めてヨーロッパに行ったのは19歳の時。学生のころには、韓国や東南アジアにも出かけて行った。
 そんな一人旅の性癖が、とうとう、こんなに遠くまで私を連れてきてしまったのだな、と思ったのは、ケニアの北西部、ウガンダとの国境に近い半砂漠の原野トルカナに住まいを定めた時だったような気がする。その後、父や母のいる日本からは、ますます遠くに離れていった。地球の裏のボリヴィアで、標高4000メートル以上の土地にあるラパスの空港に降り立った時、おんぼろのバスに揺られて、首都スクレから、かつてアフリカから買われてきた黒人奴隷たちが鉱山労働者として酷使されていたというポトシに行ったときも、同じように思った。
 私を、遠くへ遠くへと引きよせる5円玉の魔法のような魅力は、今も続いている。

 そして、一人で遠くへ遠くへと旅を続ければ続けるほど、生まれも育ちも文化も宗教も異なる人々の中に、人としての「共感」が言葉もなく感じられることに、かけがえのない幸いを見出す。