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2008/10/19

ハグ

 「抱きしめる」というあいさつの仕方がある。それは、相手に対する強い同情、あるいは、励ましの表現なのだ、と思う。
 日本では、公然と他人を抱きしめることがはばかられる。だから、初めてヨーロッパに行って、初めてホームステイした家庭の主婦から、別れ際に、両腕をぎゅっと握りしめられた時には、思わず涙が出そうに感動してしまった。
 個人主義が進んだ国に暮らしていると、この「ハグ」が、ものすごく心休まるジェスチャーだと感じさせられる瞬間がしばしばある。

 10年余り前、私たち一家はボリビアから引き揚げてオランダに暮らし始めた。当時、夫は、それまで10数年にわたって続けてきた開発途上国援助の仕事に大きな壁を感じ、躓き、苦しんでいた。私自身も、前年父を亡くしたばかりで、年老いていく母を一人故郷に残していることに申し訳なさと不安を感じていた。
 とりあえずは、小学生の二人の子供にとって最も安定のある生活をしようと、オランダの、夫の実家の近くに居を定めることにした。そうして、生活を始めてわずか1週間の後、南アフリカに仕事で出かけていた夫の父が、現地で心臓麻痺を起こして急逝したという知らせが入った。
 たった二日前に、空港に向かう元気な義父母を、最寄りの駅まで送りにいったばかりだった。

 うろたえて電話をかけてきた義母を励まし、電話口に立っている私のそばにいる二人の子供たちに、悲しいニュースを伝える私のそばに、夫はいなかった。仕事でも失意のどん底にあった夫は、私たち家族を先にオランダに帰して、ボリビアで最後の片づけをして、帰国の準備をしているところだった。この夫に、義父急逝のニュースを伝え、それから、最後の力を振り絞って、近くに住んでいた夫の従兄に電話した。

 驚いた従兄夫妻は、それから、とるものもとりあえずすぐに駆けつけてくれた。ショックで震えている二人の子供たちをかばいながらドアを開けると、従兄は、ものも言わずに、まっすぐに私のほうに向かって来て、すぐさま私をしっかり抱きしめてくれた。あの時くらい、ハグのありがたさを感じたことはない。

 前年父が亡くなる直前、私は、ボリビアから、家族を置いて日本に父に会いに行った。病院のベッドの上でやせ細って弱っていた父は、私がそばに寄ると、何度も、私の手を取り、自分の手の中に包むようにして、手の甲をさすってくれた。父にとっては、このスキンシップが生きていることを確認する行為だったのではないか、と思う。10日間の滞在の後、家族のもとに帰る私との別れ際、父も私も、もう2度と生きて顔を合わせることはない、ということを知っていた。その時も、掌を、いい大人の私の頬に当ててさすってくれた。ハグと同じくらいに、インテンシブなスキンシップだった。涙は、父にも私にも流せなかった。

 ボリビアに帰って、初めて子供たちを迎えにアメリカンスクールに行ったら、迎えのお母さん達が取り巻いている中で、娘の同級生の母親のキャロルが、いきなり、ものも言わずに私をぎゅっとハグしてくれた。彼女もまた、少し前に、故郷の母を癌で亡くしていたのだ。

 娘が小学校1年生だった時のこの学校の担任の女教師ヴィッキーは、毎日、授業が終わると、教室の入り口に立って、クラス全員の子供たちに、ひとりひとりハグをして家に帰していた。ハグは、子供たちに、その日の学校でのいろいろな出来事に決算をして、気持ちよく家に帰すための行為だったのかもしれない。だが、それ以上に、担任教師としての彼女自身が、その日の子供たちとのいろいろな思いを清算して、新たに翌日の授業を準備するための儀礼だったのではないか、という気もする。

 娘たちは、2年生に進級してからも、このハグが懐かしくて、授業が終わると、わざわざハグをしてもらいに、ヴィッキーの教室に行き、1年生がハグをし終わるのを待って、ヴィッキーにハグをしていた。

 今は20歳になった娘は、今も、ハグが好きだ。何か嫌なことがあった時、何か不安なことがある時、夫や私に、「ハグ」と言って抱きしめてもらいに来る。自分でいけないことをしたな、失敗だったな、と思うと、改悛の言葉とともにハグを求めてくる。そして逆に、私や夫が辛い思いをしているらしいと気配を悟ると、自分のほうから「ハグ」と言って抱きしめてくれる。

 人には、言葉にならない、言葉にできない、言葉にしてしまうと陳腐でやりきれない感情というものがあるものだ。だから、ハグされるたびに、「いいのよ、何も言わなくても」としっかり受け止めてもらえているのだという確証をもらっているような気がする。そうして、幾人かの人が、こうして、それという時にハグをしてくれることを知っているだけで、また、もう一歩独り歩きをしてみようかと勇気が生まれてくる。

 日本人は恥ずかしがり屋だ。亡くなる前の父がしてくれたように、手をさすったり、手をつないで散歩をするだけで、ハグの代わりに十分なっているのかもしれない。でも、抱きしめられるというのは、肩から背中からすっぽり包まれるような安心感を与えてくれるものだ。夫婦なら、親子なら、家の中でもっともっとハグしていいと思う。抱きしめてやることで、相手は生きることにもう少し勇気を持とう、という気になれる。相手は、夫でも、妻でも、親でもかまわない。抱きしめられたい、というのは、人間にとって、しばしば起こる当たり前の感情だと思う。